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【鉄学しましょ】

新駅を詠む 土屋武之さん

写真

 同じ県内に同じ程度の規模のまちが二つあると、何かと張り合うものだ。群馬県では前橋市と高崎市が、城下町同士ということもあって事あるごとに自己主張を繰り返してきた。明治維新後、上野から延びてきた鉄道は高崎を経由し、1884年には利根川に架橋して前橋に到達。この時、間に途中駅はなかった。

 大正時代になり新潟へ通じる鉄道の計画が進められた際、起点をどこにするかが問題となった。高崎は高崎駅から北上するルートを主張したが、前橋は市内に分岐駅を設けるよう帝国議会へ働きかけ、このときは前橋に軍配が上がった。高崎−前橋間の利根川西岸に新前橋駅を設け、ここで分かれる現在の上越線が開業したのは1921年7月1日だった。結果、高崎−渋川間のルートは大きく東へ迂回(うかい)する形になった。

 詩人の萩原朔太郎は前橋出身で、開業直後の「新前橋驛(えき)」の詩を詠んでいる。当時は店も何もない田園地帯にポツンと駅だけがあった。暑い夏の日にすさんだ心持ちになりつつ汽車を待ったことが、切々とつづられている。しかし今、近代的な橋上駅の駅前に立つ詩碑=写真=を前にしても、彼の心情を想像するのは難しい。

 

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