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【鉄学しましょ】

嘉農球児送り出す 土屋武之さん

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 太平洋戦争前の全国中等学校優勝野球大会(現在の全国高等学校野球選手権大会)には、当時、日本の施政下にあった台湾、朝鮮や旧満州国の学校も参加していた。1931年夏、嘉義農林学校は台湾代表となり、惜しくも準優勝に終わったが「嘉農旋風」を巻き起こした。その時の「KANO」の活躍を描いた映画が、2015年公開の「KANO 1931海の向こうの甲子園」である。

 選手たちは鉄道で嘉義から基隆へ出て、船で神戸へ向かう長旅を経て甲子園にたどりついた。上野駅や小樽駅などと相通じる趣がある現在の嘉義駅舎=写真=は1933年の完成。嘉農はその後、33年、35年、36年と甲子園出場を果たしたから、2回目からは完成したばかりの新しい駅で列車に乗り込んだことになる。古いレールを加工した柱が屋根を支える幅広いホームもまた、戦前の面影を現代に残す。

 映画のクライマックスでは、限られた数しか嘉義の町になかったラジオの周りに、無数の人々が集まり、31年の決勝戦の模様を固唾(かたず)をのんで聴く。うち1台があったのが嘉義駅。今で言う「情報ステーション」の役割も、駅が担っていたことがよくわかる。

 

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