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【ふくしま便り】

変われぬ国 100年前警鐘 福島出身の歴史学者・朝河貫一

本の出版について記者会見して語る(左から)梅田秀男さん、武田徹さん、佐藤博幸さん=福島県庁で

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 国会事故調査委員会の報告書で、福島県出身の歴史学者朝河貫一が紹介された。黒川清委員長が「朝河は、日露戦争に勝利した後の日本国家のありように警鐘を鳴らす書『日本の禍機(かき)』を著し、日露戦争以後に『変われなかった』日本が進んで行くであろう道を、正確に予測していた」とし、原発事故は「変われなかった」ことで起きたと書いた。

 地元の高校教師らが「100年前からの警告 福島原発事故と朝河貫一」(花伝社、税別千七百円)を出版した。執筆したのは、元高校教員の武田徹さん、梅田秀男さん、福島県立喜多方高教員の佐藤博幸さんの三人。国会事故調の報告書で紹介された朝河を「もっと知ってもらいたい」という。

 朝河は一八七三年の生まれで、父正澄は戊辰戦争で敗れた二本松藩の藩士だった。正澄から漢籍や古典を学んだ。

 九二年に福島県尋常中学(現安積高校)を卒業、九六年に渡米し、一九三七年に米エール大学歴史学教授になった。武田さんは「父子でくせ字が似ているんです」と言い、手紙から分かったエピソードを教えてくれた。

朝河貫一が学んだ福島県尋常中学校本館。国の重要文化財で、安積歴史博物館として公開されている=同県郡山市で

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 「(米国で大学教授になることは)天命と受け止めています」と、朝河が帰国予定が迫った一八九九年に父に手紙を送ると、正澄は「独立して過ごすことが出来なくなった時には、自決する覚悟でおります」と返事を書いた。「ただし手紙並びに写真は年に一回位は。ひとえに待っております」と手紙は結ばれている。「自決だけではなく、年一回、と書く。武勇だけではない。これが本当の武士道なんです」と武田さんは言う。

 朝河は渡米後、二度帰国した。一九〇六年、最初の帰国時、福島市での講演を報じた福島民報の記事がある。

 「国の政治のためには、偽り、嘘(うそ)を言い、弱い者をいじめるという必要性を感じることがあるでしょう。(略)それは何のためでしょう。政治には『責任』が伴うのでありますが、このことを無視するからなのであります」

 「日本の禍機」の中でも「日本は国を挙げて国民の反省力向上に努めなければならない。それを怠り、この国の行く末を、一握りの少数者の知力と道義心に頼り、任せている限り、日本の前途は極めて危ういものとなると言わざるをえない」と書いている。

 警鐘は原発事故だけではなく、今の政治にも当てはまる。 (福島駐在編集委員)

 

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