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【ふくしま便り】

測って確かめる、実践 自力で除染 園児守った、さくら保育園

2011年夏、プールに入った子どもたちは大喜びだった

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 福島市渡利地区は、桜の名所花見山がある、自然に恵まれた住宅地だ。ここに保護者と共に、東日本大震災後も休まず保育を続けた社会福祉法人わたり福祉会さくら保育園がある。

 園庭も広いが、二〇一〇年秋に完成した園舎もゆったりした造りだ。斎藤美智子園長は「普通だったら、認可保育園でこんな立派な園舎は建てられない」と笑う。保育園に「はまっている」保護者のおかげだという。耐震設計の園舎は、一一年三月十一日の震災から園児を守った。

 東京電力福島第一原発から六十キロ離れているが、同年四月、環境省の調査で、県内でも空間放射線量が高い保育園と分かった。

 「当時はここにいてもいいのか、という思いだった。ただ、一人でも来るのなら開園しなければと考えた」と斎藤園長。仕事や家庭の事情で避難できない保護者はいる。実際、四月には新入園の二十二人を含めて園児は九十六人だった。

 福島県保育連絡会が五月、安斎育郎・立命館大名誉教授を講師に講演会を開いた。安斎さんは講演後、「どこかで実験できませんか」と言った。斎藤園長は連絡会の事務局長。さくら保育園に来てもらった。十人ほどで園庭の土を三センチほど削ると、線量計の数値はみるみる下がった。

 「放射線量が下がる、という発想がなかった。ここで暮らせると思いました」と斎藤園長は言う。

 安斎さんは「被ばく線量は少ないにこしたことはない」と話し、持参した線量計を保育園に残してくれた。保護者会の会長が汚染マップを作った。お父さんたちが職員と一緒にデッキブラシで通路やベランダを水洗いした。ペットボトルに水を入れれば放射線を防げると、二リットルのペットボトルを二千本も集めた。

 それでも、三輪車に乗れた子どもが乗れなくなっていた。なんでもない所で転ぶ子がいた。斎藤園長は外遊びと散歩ができなかったせいだと考えた。除染と測定を繰り返し、十月から外遊びを始めた。「子どもは日々、成長します。だから来年になれば、という気持ちになれない」

 安斎さんは食品の放射能測定器を作ってくれた。食材を切り刻まずに測定できる便利な測定器だ。園児が飼育するザリガニも生きたまま計測できる。「測って確かめる」が定着した。

 同園の保育方針の一つに「科学的な裏付けのある保育」がある。「科学的というのは保育についてでしたが、随分たって、放射線にも科学的に対処したと気付きました」と斎藤園長は言う。そして「最近、福島市はベビーブームなんですよ。ゼロ歳児や一歳児では待機児童が出るほど」とうれしそうだった。 (福島駐在編集委員)

◆母親の話聞き信頼育む

 さくら保育園と同じ建物に、わたり福祉会が運営するさくら子育て支援センターがある。利用者は専業主婦、育休中の母親と子だ。二〇一〇年秋の開設時から昨年三月末まで、センター長を務めた江刺多恵子さんに当時の話を聞いた。

 再開は一一年四月十二日。初日は二組の母子が来た。母親は抱えている不安を話した。以後、母親の話を聞き、信頼関係をつくることに努めた。

 「子どもを連れて買い物に行ったら、店にいたお年寄りから避難しなくていいのか、と言われて傷ついた」「避難したが、なじめなくて戻った」。家族には内緒で、県外の避難先から来て「苦労を吐き出していく」人もいた。

 放射能に対する考え方は人によって違う。一一年夏、プールを使えるようにした。心配だという母親も、プールに入れたいという母親も大事にしようと考えた。当日、やってきた親子はみんな、プールの準備をしていた。この夏、プールを三交代で使うほどの人気だった。「心配なのは全く外に出ない人、家にこもりきりの人です」と江刺さんは言う。

 いい話もある。震災時、おなかが大きかった母親たちが、赤ちゃんが生まれた、と訪ねてきた。何人もの赤ちゃんの写真をセンターに貼った。「あのころ、胎児への影響が心配されていた。だから、こんなに元気な赤ちゃんがいる、と分かって、本当に励まされた」

 江刺さんは山形県出身。原発事故後、このままでいいのかとは思ったが、避難はしなかった。「事故が起き、自分が原発に無関心だったことを子どもたちに申し訳なく思う。県外の人には、福島のお母さんは泣いてばかりではない。明るく立ち向かっているんだよ、と伝えたい」と話す。

 

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