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【ふくしま便り】

百年先のため人柱に 楢葉町宝鏡寺・早川住職の決意 

「福島第二原発の廃炉は帰還の前提」と話す早川住職=福島県楢葉町で

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 楢葉町の小高い山の上に六百二十年の歴史を持つ浄土宗の古刹(こさつ)・宝鏡寺がある。同寺の早川篤雄住職(76)は怒っている。原発事故から四年八カ月。楢葉町は二カ月前にやっと避難指示解除となったが、それは「復興という名の切り捨て」であったという。しかも同町に立地する東京電力福島第二原発について、国も東京電力もいまだに廃炉を約束していない。「彼らは事故から何を学んだのか」。住職の話に耳を傾けてみたい。

    ×  ×  ×

 福島県いわき市に避難していたが、今年二月に単身で帰ってきました。檀家(だんか)が百三十軒ほどの小さな寺ですが、亡くなる人もいるし、坊さんが留守にしているわけにはいかない。いわき市で障害者施設の世話をしていた家内も九月に帰ってきました。何とか生活していますが、ネズミだらけで往生します。

 避難指示解除から二カ月ですか。いまのところ帰還した住民は4、5%ぐらい。夜になっても電気がついている家は珍しく、真っ暗です。子育て世帯は一軒も戻っていない。自分で車を運転できる高齢者だけが帰ってきたということです。地元の人間は肌感覚で、こうなることがわかっていました。元通りの町が再現されるなんてことは、ありえないんですから。

 事故の前も国や東京電力は「原発は絶対に安全」と繰り返していた。今また「安全だから町に帰れ」という。同じですね。札束で懐柔するやり方も同じ。だから私は、復興という名の切り捨てだと言っているんです。

 事故の直後、避難先で「あんたのいったとおりになったな」と町の人にいわれました。残念ながら、その通りだった。

 近隣の双葉町、大熊町に立地する福島第一原発が営業運転を開始したのは一九七一年三月二十六日です。私らは十数名の仲間と翌七二年二月十一日に「公害から楢葉町を守る町民の会」を立ち上げた。七三年九月には福島第二原発の建設に関する公聴会を全国で初めて開催させた。七五年には四百四人が原告となり、第二原発の原子炉設置許可処分の取り消しを求めた訴訟も起こしました。この後、スリーマイル島やチェルノブイリで事故が起きました。それでも九二年、最高裁は私たちの訴えを退けました。

 私たちの心配は現実となり、当時、声を上げた人も上げなかった人も被害を受けた。これは戦争と同じです。起きてしまえば庶民は等しく被害を受ける。

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 本当に町への帰還を促すのならば、第二原発の廃炉を約束するのが先でしょう。ところが国や東電はのらりくらりとごまかすばかりだ。福島県は県内の原発の全基廃炉を国に求めていますが、新任の林幹雄経済産業相は「東電が地元の意見を踏まえて決めるのではないか」と無責任極まりない発言をした。

 一方の東電の経営者は、同じ質問に「国のエネルギー政策次第です」と答えます。まったく人をばかにした話です。

 事故を教訓にして、原発の安全対策に画期的な進歩があったのでしょうか。何もない。それなのに全国の原発を再稼働させるという。恐ろしい話です。福島の事故は、実は幸運に恵まれたのです。あのとき第二原発も電源喪失の危機に直面していた。この程度の被害で済んだのは奇跡。次に事故が起きたとしたら、今回の比ではない悲惨な事態になるでしょうね。

 誰にでも故郷への思いはある。帰りたい。しかし、とても帰れる環境ではありません。だから、この町は一度、間違いなく消滅すると思います。

 私はチェルノブイリにも何度も視察に行きました。チェルノブイリは三十キロ圏内は強制移住です。本当なら国は、楢葉町の住民の移住計画を策定しなければいけないのです。

 ただ、私は絶望しているわけではない。百年、二百年がたって、またこの土地に人が住み始めるかもしれない。その人たちのために、人柱になるような働きを、私たちはしなくちゃいけない。そう、考えています。 (福島特別支局長・坂本充孝)

 

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