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【長久保宏美のリポート福島】

エゴマ生産で町民に希望を タネ、油から放射性物質不検出 

エゴマを収穫する石井絹江さん

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 東京電力福島第一原発事故で福島市に避難した、福島県浪江町津島地区の石井絹江さん(66)は二〇一五年、避難先で農園を始めた。種から良質の油が採れるエゴマを栽培するためだ。浪江町内でも栽培を始め、避難から戻った高齢者らの手を借りて、特産品にしたいと考えている。

 「この小さな粒、見える? これがエゴマの種。刈り取る時の振動だけでも落ちちゃうの」。浪江町の畑で、収穫時期が来たエゴマを見つけた石井さんが、カマで優しく刈り取る。白いシートの上で枝を揺らすと、種がパラパラと落ちた。エゴマはシソ科。辺りにシソの葉に似た、香ばしい香りが広がる。

 「エゴマはこの辺じゃ、『じゅうねん』って呼ばれるの。搾った油や葉を食べると十年長生きするって、昔から言われているんです」

 今年は七月に苗を植え、十月末に計約三トンを収穫した。水分が5%になるまで種を乾燥させて、搾る。一キログラムのエゴマから三百ccの油が採れる。これを瓶に詰め、一本百十五グラム、二千五百円(税込み)で販売している。昨年は約千本生産した。

 割高にも感じるが、六月に福島県で開催された全国植樹祭の会場で、完売。東京都庁での販売会も好評だったという。油だけでなく、ジャムやドレッシングなども製造し、町役場の敷地内にある仮設商店街でも売っている。

浪江町役場脇の仮設商店街で販売されるエゴマを使った商品=いずれも福島県浪江町で

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 石井さんとエゴマの出合いは原発事故の前、一九九九年にさかのぼる。浪江町役場の産業振興課に勤めていて、町としてエゴマの栽培を本格的に進めることになった。エゴマは中山間地域の農地でも栽培でき、比較的手間がかからず、高齢者が多い津島地区には最適な作物だ。地区の活性化センターに、搾油加工施設ができた。

 原発事故直後、町民は原発から離れようと、福島第一原発の約三十キロ北西にある津島地区に身を寄せた。放出された放射性物質の通り道だったことが、後になって判明した。当時は事故の正確な情報が全く入らなかった。

 事故当時、石井さんは地区の診療所で事務職員をしていた。「診療所は悲惨な状況でした。薬は足りない。殺気だった町民が窓口で怒鳴る。部下の三十代の男性は、精神的に参ってしまった」

 その後、町民は二本松市や福島市などに避難し、地区は無人になった。二万千五百人いた町民は県内だけでなく、全国ほぼすべての都道府県に避難。町の一部で避難指示が解除されたものの、今年十月末現在で町内に居住しているのは八百五十人ほど。津島地区は今も放射線量が高く、帰還困難区域となっている。

 「定年後は孫らと楽しく暮らせればいい」と思っていた石井さん。避難中、やはり故郷の様子が気になった。エゴマの放射性物質濃度を継続して測ると、セシウムは検出されない。「また生産できるのでは」。そう思い、酪農家だった夫やその友人らと福島市内の農園のほか、浪江町内の除染した農地を借り、現在は計約三ヘクタールで栽培している。

 「浪江に戻ってきたお年寄りや、戻っても農業を再開していない人たちに、栽培を始めてもらえればうれしい。自分たちで葉や新芽も食べつつ、町の特産品になればいいな」と石井さん。小さな種に、希望を託す。 (福島特別支局長)

 

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