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【長久保宏美のリポート福島】

新地高校 2022年度統合で消える 「孫の思い出まで…」

津波で亡くなった瑞姫さんの話をする祖母の林ナミ子さん

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 福島県新地町の菅野瑞姫(かんのみずき)さん=当時(18)=は、通っていた県立新地高校の卒業式の十日後、東日本大震災の大津波で亡くなった。震災から八年を目前にした今年二月、母校が統合され、二〇二二年度になくなる計画が発表された。祖母の林ナミ子さん(73)は「瑞姫の思い出までなくなるようで寂しい」と話す。

 林さんと娘の菅野真津子さん(51)、瑞姫さんは三代続けて新地高。瑞姫さんの卒業式は一一年三月一日。十八歳の誕生日だった三日には、林さんと瑞姫さんら六人で仙台市で食事をした。「就職も決まり、誕生日のお祝いで、家族みんなで行ったの。自動車学校で仮免許の試験にも受かって、うれしそうだった」

犠牲者を追悼するために植えられた「おもひの木」

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 震災当日、林さんは自宅にいた。揺れが収まった後、車で五分ほどの距離にある町営住宅に住む真津子さんから電話が入った。「瑞姫が帰ってこない」。瑞姫さんは地震の直後、真津子さんに「大丈夫」とメールを送ったが、その後は連絡がつかなくなった。

 「隣町の宮城県山元町の自動車学校に行っていたんです。後で分かったことですけど、瑞姫は講習が終わり、帰りのバスの座席に座って発車を待っていたのですが、そこにあの津波が…。五、六人乗っていたうち、車外に放り出された一人以外、だめだったんだって」

 林さんは真津子さんと捜し回った。相馬市の避難所の体育館や山元町の病院…。発見されたのは翌十二日。見つけたのは両親だった。

 新地高では、瑞姫さんら一日に卒業式を終えた八人、在校生一人の計九人が津波の犠牲になった。

 一六年十一月。新地高創立百十周年の記念式典が同校で行われた。林さんは記念誌の編集委員長を務めた。式典で思わずこうつぶやいた。「震災のこと、津波のこと、子どもたちのこと。みーんな忘れ去られていくんだよね、きっと…」

新地高校卒業式の日の菅野瑞姫さん=いずれも福島県新地町で

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 このつぶやきを、当時の校長が聞いていた。生徒会役員を中心に、犠牲者を追悼する取り組みが動きだした。翌一七年三月十一日、同校正門近くの中庭に、九人を追悼する「おもひの木」=沙羅(さら)の木=が植樹された。同時に「おもひの木ポスト」が設置され、震災への思いを集める活動が始まった。

 同校では「命の教育」として、毎月十一日の月命日にろうそくをともし、犠牲者を追悼している。生徒会役員らは過去六千年の新地町の津波を研究し、成果を各地で発表している。震災の経験や当時の思いを風化させないためだ。

 今年二月、福島県教育委員会は大規模な高校統合計画を発表した。二八年三月の中学卒業者数の見込みが、一七年に比べて約五千三百人減るのが理由だ。計画では、新地高は二二年度分から募集を停止し、相馬市の相馬東高の校舎に統合される。

 「孫の思い出まで消えてしまいそう」と林さん。新地高関係者からは「統合して命の教育は継承できるのか」と懸念する声が聞かれる。県教委県立高校改革室の柳沼英樹室長は「命の教育などを含め、統合する二校が実践してきた教育活動を継承した学校づくりをしていく」と話している。 (福島特別支局長)

 

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