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【長久保宏美のリポート福島】

断ち切れぬ想い…「切ない」 復興拠点区域内の自宅解体問題

津島の自宅から持ってきた御影石のテーブルの前で話す今野さん=福島県大玉村で

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 東京電力福島第一原発事故で汚染された福島県の自治体の一部区域で、国は集中的に家屋を解体、除染し、インフラを整える「特定復興再生拠点」の整備を進めている。放射線量の高い帰還困難区域への住民の帰還を促すためだ。浪江町では三地区で進められているが、このうち津島地区で暮らしていた今野秀則(ひでのり)さん(71)=同県大玉(おおたま)村在住=は、先祖代々の旧家をどうするか、思い悩んでいる。

 「あなたね、簡単に解体、解体って言うけど、あの家には明治時代から百年以上、先祖代々の歴史や思い出が詰まっているんです。動物にも荒らされていない。昔のままなんです」

 復興拠点の取材で、記者が投げかけた不用意な質問に、今野さんが激しく反応した。後日、移り住んだ先の大玉村を訪ね、思いを聞いた。

 津島の自宅は、明治三十年代に建てられた旅館「松本屋」。木造総二階建て。建坪は九十五坪で三百平方メートルを超える。今野さんの母親が切り盛りし、事故までは妻芳子さん(62)が引き継いでいた。

 今野さんはこう思う。「家を残して、たまに二、三日泊まりたい。しかし、仮に残しておいても、子どもたちが帰って暮らすわけでもない。取り壊すしかないのか。自分の中では気持ちが吹っ切れない。本当に切ないです」

 一方で「自分たちの世代で管理しきれないものを、そのままにしておくのは、子どもたち世代に負の遺産を残すようなもの」と芳子さん。「家の問題だけが原因じゃないけど、避難してきて以来、夫婦げんかの種は尽きないんです」と苦笑いした。

 国は復興拠点を大熊、双葉、浪江、富岡の四町と飯舘(いいたて)、葛尾(かつらお)の二村に設定している。浪江町では常磐道浪江インター近くの室原(むろはら)、末森(すえのもり)の二地区と、山間部の津島地区の計三地区約六百六十ヘクタールを対象に、整備を急ぐ。津島の復興拠点は国道114号沿いの約百五十三ヘクタール。今野さん宅は旧津島村の中心部に近い街道沿いにある。一帯は帰還困難区域で、事故からの八年間、人が住んでいない。

津島地区にある旅館「松本屋」前に立つ今野さん(右)と芳子さん=2013年3月9日、福島県浪江町で(今野秀則さん提供)

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 今野さんは復興拠点の事業そのものにも疑問を抱く。

 「帰る、帰らないは個人の自由だけど、いったい誰が戻って、どうやって生活すんのか。対象区域の住人は、ざっと計算して津島全体の五分の一。百世帯もない。かつては濃密な人間関係があって、祭りや農作業が成り立っていた。それがなくなって、山菜も採れない、お祭りできない、学校の運動会できない…。規制解除して住めって、それ、人間の生活じゃないんじゃないか」

 県内四カ所を転々と避難した後、大玉村に移り住んだ。お宅の庭から、広々とした水田を見渡せる。その庭に、津島産の御影石のテーブルといすがある。津島の家の中庭から持ってきた。テーブルに、小さな文字が刻まれていた。

 東日本大震災・原発事故のため

 津島は帰還困難区域とされた

 古い家・鮮やかな四季・人々の絆など

 ふるさとへの想(おも)い断ち難くも

 この地を終(つい)の棲家(すみか)と定める

  平成二十八年三月十日

 事故から五年たった当時の今野さんの思いだった。 (福島特別支局長) 

 

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