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【長久保宏美のリポート福島】

川内村で食品提供続ける志田さん 高齢者支える 格安市場

天ぷらや焼き鳥を調理、販売する車の前で活動について語る志田篤さん=いずれも福島県川内村で

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 福島県川内(かわうち)村でNPO法人「昭和横丁」を運営する志田篤(あつし)さん(70)は、東京電力福島第一原発事故の発生直後から現在まで、高齢者に食品を提供する活動を続けている。自然豊かなこの村で、志田さんはなぜ高齢者を支えるのか。

 村は県南東部、富岡町の西に位置する。平均標高は約四六〇メートルで村の大部分は山林だ。村によると、人口は十月一日現在、二千五百八十九人。六十五歳以上の高齢者は千九十三人で、人口の約42%を占める。

 村東部の一部区域は、福島第一原発から二十キロ圏内が警戒区域(二〇一二年四月に避難指示解除準備区域と居住制限区域に再編)に入り、二十キロ圏外は緊急時避難準備区域とされ、事故発生後、村民の大半は村外に避難した。

 二十キロ圏外の指定は一一年九月に解除され、このエリアから避難した村民への精神的損害賠償は一二年八月分を最後に打ち切られた。自主避難者扱いだ。

 「村の高齢者はほとんど国民年金。収入は月三万〜四万円。一日千円ちょっとで生活していた。自宅近くの田畑でできたものを食べる生活。長男以外は出稼ぎに出る人が多い」。志田さんが震災以前の村の生活ぶりを語る。

 では、高齢者の支援を始めるきっかけは何だったのか。

 「一一年六月から、村の仮設住宅(郡山市)で自治会長をやっていた。ある時、『キャベツに塩かけて、ご飯を食べているお年寄りがいる』という報告を受けた。仮設住宅では光熱費は各自負担のうえ、食材はスーパーへ買いに行く。多くのお年寄りは先の見えない生活で食費を極端に節約していた」

 かつて村で同居し、高齢者の生活を支えてきた世代は避難先で、自分や子どもたちの生活を維持するのに精いっぱいになったという。

 志田さんは一三年九月にNPO法人を設立。仮設住宅で米の配給を始めた。一七年三月には村内に土地を借りて広場を造った。そこで毎週日曜日、「横丁市場」というのぼりを掲げて、野菜や缶詰などの食品を格安で販売。宮城県の財団から借りた車で焼き鳥や天ぷらなどの総菜を調理し、その場で販売する。「野菜七種の天ぷら」は一皿三百五十円。ホウレンソウは一束六十円だ。

 会場の設営は地元のボランティアが担う。野菜は生協関係者から廉価で仕入れ、食品は全国の市民団体から支援を受ける。無償提供されたものは、そのまま配布する。多いときには高齢者四十人ぐらいが、ベンチで総菜を食べ歓談するという。

 取材当日、台風19号の豪雨災害で氾濫した川の水が村内の水田に流れ込んだ。志田さんは「台風被害で耕作放棄地が増えるのが心配。今後、どうやって地域コミュニティーを維持していくのか。工業団地勤務の転入者たちと村の高齢者との関係づくりが課題だ」と話した。 (福島特別支局長)

「横丁市場」のベンチで歓談するお年寄りたち=5月13日(写真家の飛田晋秀さん撮影)

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