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【長久保宏美のリポート福島】

故郷の近くにいたい 富岡から都内に避難 菅野さん

福島県いわき市に購入したマンションから富岡町の方角を見ながら話す菅野洋子さん。鉄橋は3月に全線開通するJR常磐線

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 東日本大震災と東京電力福島第一原発事故に伴い、東京都内で避難生活を送っていた福島県富岡町の菅野洋子さん(78)は、昨年暮れ、いわき市のマンションに引っ越した。原発から約七キロにある自宅への帰還はかなわなかったが、「遠くに望む阿武隈山系の山並みが富岡につながっていると思うとほっとする」と話す。

 美容師としてJR常磐線夜ノ森駅近くで美容室を経営していた。現在、除染や家屋の解体が進む区域だ。常磐線の運転再開に先立ち三月十日には、駅舎につながる一部道路が先行して規制解除される。

 引っ越しを前にした昨年十一月、菅野さんは記者にこんなことをつぶやいた。

 「本当はね、あの(富岡の)うちで、孫らに囲まれて生活するのが夢だったの。でもね、難しいんだよね…」

 今は商店も病院も近くにない元の自宅。富岡への帰還はあきらめた。東京都江東区の国家公務員宿舎東雲(しののめ)住宅で避難生活を続け、三年ほど前に「墓参りの前線基地」として現在のマンションを購入した。東雲住宅の使用期限は今年三月末。それまでに自分の居場所を確保したかった。

 震災が起きた二〇一一年三月十一日、美容室では女性のお客さんのシャンプーをしている最中だった。翌朝、店の前の道路が車の渋滞で動かなくなっていた。ドライバーに「どうしたんですか」と尋ねると、「逃げろって、川内村の方に…」と怒鳴られた。早朝に避難指示区域は第一原発の半径三キロから、十キロ圏内へと拡大されていた。

 次女の運転する車で郡山市を経由し、一般道路で都内の長女宅に向かった。途中のガソリンスタンドでは「千円分しか売れない」と言われたが、頭を下げて二千円分給油してもらった。その後、菅野さんは都庁に電話して住宅の支援を要請し、四月中旬に東雲住宅に入居した。九年近くに及ぶ避難生活の始まりだった。

 部屋は二十五階の東側。窓から葛西臨海公園の大観覧車や、東京ゲートブリッジが見えた。夜、同じ時間に花火が上がる。東京ディズニーランドの花火だ。理想的なロケーションのように見えるが、「景色は確かにきれいなのよ。でもね、どこかよその場所に来ているっていう感じはずっと消えなかった」。

 常磐線は三月十四日、九年ぶりに全線で運転を再開する。菅野さんはその日を心待ちにしている。「開通の日には必ず乗る。そして浪江や南相馬の友達に会いに行くんだ。忙しくなるのよ。これから」 (福島特別支局長)

富岡町の夜ノ森駅近くにあった美容室の店舗。昨年、解体された(菅野洋子さん提供)

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