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【東京新聞フォーラム】

「しきしまの大和へ」 日本の起源 巡る知の旅

東京新聞フォーラム「しきしまの大和へ」に訪れた多くの聴衆

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 東京・池袋の古代オリエント博物館で開かれている奈良県立橿原(かしはら)考古学研究所付属博物館の特別展「しきしまの大和へ」(東京新聞など主催)を紹介する東京新聞フォーラムが5日、サンシャインシティ文化会館ビル5階のホールで開かれた。200人を超える来場者は、考古学者らによるパネルディスカッションに聞き入り、奈良で出土した縄文時代から中世の遺物約300点を紹介した特別展の見どころを確認した。

◆主催者あいさつ 東京新聞・事業局長 稲熊均

 東京新聞と橿原考古学研究所によるフォーラムは今年34回目となります。今年は研究所の貴重な展示品を借りて特別展も実現し、長い歴史の中で特別な年となりました。展示は古代国家成立の謎にせまる約300点を展示し、考古学ファンも満足できる内容です。ご協力頂いた方に厚くお礼を申し上げます。

◆基調講演 田中晋作氏『発展支えた 土器とコメ』

基調講演する田中晋作さん

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 フォーラムでは山口大学人文学部教授で橿原考古学研究所共同研究員の田中晋作さんが「大和のくにづくり」と題して基調講演した。発掘された土器や石器など道具の細かい観察から、当時の生活様式や文化交流を推察し、聴衆を歴史ロマンの世界へと引き込んだ。

 田中さんはまず、縄文土器と人口増加の関係を話した。土器で煮炊きすることで、それまで食べられなかった物を食材に変えたと説明。食材を殺菌し、軟らかくして消化を良くした効果も大きく、寿命を延ばし、離乳食作りを簡単にしたという。「母親の負担が軽くなり、女性が生涯に産む子も増えた。日本で人口が増える契機が土器だったのです」

 稲を摘み取るのに使った石包丁など、弥生時代の道具の考察では「農耕文化を受け入れ、動きの多かった狩猟生活が一変した。その場に定着し、村ができた」と説いた。

 コメは収穫の効率が良く栄養価も高い。このため食料の獲得に携わらない人が出てきて、彼らが効率の良い道具を開発して、さらに収量が向上。この頃、村ごとの格差も生まれた。

 食料の獲得に携わらない人が作る布などが朝鮮半島との外交で贈る物の一つとなり、交換で半島から銅鏡などが流入。五世紀ごろには朝鮮半島で争う国々から軍人の派遣を求められ、渡った人びとが帰国時に本格的な武器を持ち帰った。

 田中さんは「人口増加とコメ文化の普及によって、食料生産以外の物づくりに携わる人が増え、社会が進化した」と総括した。

<たなか・しんさく> 山口大学人文学部教授・橿原考古学研究所共同研究員

◆パネルディスカッション 『外交 くにづくりを推進』

「くにづくりと外来文化」と題して行われたパネルディスカッション

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小栗明彦(おぐり・あきひこ)氏

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 小栗明彦 今日は、日本列島での国家形成について話をしていきたいと思います。まず日本列島における社会の初期は、どんな状況だったのでしょうか。

 高橋健 奈良の桐山和田遺跡や横浜市の花見山遺跡では、約一万二千年前の石の鏃(やじり)が出土しています。マンモスなどがいた氷河期が終わり、今と同じような環境にシカやイノシシなどがすむ森が広がった時代のものです。

 この頃には、やりや弓矢、食料を調理するための土器が登場しました。縄文時代の草創期です。ただ住居はあまり見つかっておらず、テントのような家に住んでいたと考えられます。比較的短い期間で移動し、集団の規模も十数人だったでしょう。

 同じ縄文時代でも四千〜五千年前になると、住居の跡が多く見つかっています。それでも集落の人の数は数十人程度です。

高橋健(たかはし・けん)氏

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 小栗 世界の状況はどうだったのでしょう。

 下釜和也 世界でも村から突然、国や都市ができることはありません。国ができる過程で重要なのは、集落の巨大化です。シリア東部の遺跡は紀元前四〇〇〇〜三六〇〇年ごろ、すでに五十五ヘクタールの規模があり、五千〜一万人が住んでいたと推定されています。

 この頃の遺跡からは、パンを焼く調理施設も見つかっています。興味深いのは、黒曜石製の盃(さかずき)。まだメソポタミア文明が生まれるはるか前に、こういう特殊なものを持つ特定の立場の人がいたと推測できます。

 小栗 日本列島では社会の発展が短期間で進んだようにみえますね。

 田中晋作 大きな要因と考えられるのが、外交です。日本列島ではメソポタミアや中国と違い、外部の影響を強く受けて社会の発展が進みました。メソポタミアが千年かかったことを百年、百五十年で達成できるんです。外交は地域を一つにする大きな力にもなりました。外交権を持った人は極めて強い立場に立てたはずです。

 朝鮮半島の戦争も日本にとっては大きかったのではないでしょうか。仮に朝鮮半島に対する軍事活動があったとすれば、そこに厳しい上下関係、権力が生まれたでしょう。産業構造が変化した背景には朝鮮半島から逃げてきた技術者の影響があったかもしれません。

 小栗 メソポタミアでは社会の発展に軍事活動の影響はあったのでしょうか。

下釜和也(しもがま・かずや)氏

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 下釜 紀元前三六〇〇〜三五〇〇年ごろ、南イラクで資源を獲得に出向いていく動きがあったことは知られています。石や金属などの資源を集めるために、植民地支配のようなものが進められたのではないかと考えられているのです。軍事力はどう関わったのかはまだよく分かりませんが、イラクの遺跡では軍事的な城塞(じょうさい)とみられる施設や戦闘で使うような投弾が出てきています。

 小栗 日本列島の国家形成において外来文化の影響とは何だったのでしょうか。

 田中 モノ、人、そしてシステムの三段階に分けられます。人は技術、システムは通貨などですね。受け入れには、各段階の集落の成熟度が大きく関わっていたはずです。それぞれの時点での集落のレベルが違っていれば、日本列島の国家形成は違った形になっていたかもしれません。 (敬称略)

<小栗明彦(おぐり・あきひこ)> 奈良県立橿原考古学研究所付属博物館指導学芸員

<下釜和也(しもがま・かずや)> 古代オリエント博物館研究員

<高橋健(たかはし・けん)> 横浜ユーラシア文化館主任学芸員

◆特別展「しきしまの大和へ―アジア文華往来―」

「三角板鋲留短甲(びょうどめたんこう)」などの出土品が展示される「しきしまの大和へ」展

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 奈良で出土した縄文時代から中世までの貴重な遺物約300点を展示。縄文時代の土偶や弥生時代の絵画土器をはじめ、船形埴輪(はにわ)、日本最古の将棋駒などが一挙公開されている。

 12月1日まで、古代オリエント博物館(東京都豊島区東池袋 サンシャインシティ文化会館ビル7階)で開催中。無休。有料。問い合わせは同館=(電)03(3989)3491=へ。

 また同展は、2020年4月21日から7月5日まで、横浜市の横浜ユーラシア文化館でも開催される。 

<奈良県立橿原考古学研究所付属博物館> 1938年に創立され、80年にわたって奈良の考古学を主導してきた橿原考古学研究所の付属博物館。纒向(まきむく)遺跡をはじめ、藤ノ木古墳、高松塚古墳などの有名な古墳や、飛鳥京跡や東大寺などの発掘資料を展示している。特に大和で国家形成された古墳時代の出土品が充実している。

 

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