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【群馬】

<東日本大震災8年>福島県から集団避難 障害者施設元職員・松永さん 安中で再び生活支援員に

木工作業中の利用者を見守る松永さん(右)=安中市で

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 二〇一一年三月の東京電力福島第一原発事故で、勤務していた障害者施設ごと福島県から高崎市に避難した元職員の松永ゆみさん(56)=同市上豊岡町=が今年一月から、安中市の障害者支援施設で働き始めた。避難生活のストレスでくも膜下出血に倒れ、高崎市内で闘病やリハビリを続けていた。病を乗り越え、支えてくれた県内の友人、知人らへの感謝を胸に再起の一歩を踏み出した。 (石井宏昌)

 安中市松井田町で市社会福祉協議会が運営する「多機能型支援施設COSMOS(コスモス)」。障害者の就労継続支援や生活介護、障害児の放課後デイサービスなどを担う同施設が松永さんの新しい職場だ。担当するのは生活介護の「創造班」の生活支援員。利用者の生活能力向上を基本に、手芸や木工など賃金につながる創造的な活動や軽作業の支援をする。

 「三月になってようやく体が慣れてきたかな。周囲の人が無理しなくていいよって気遣ってくれて。楽しい雰囲気で働かせてもらってます」。勤務は週五日午前九時十五分から午後四時まで。当初は疲労で帰宅後すぐ寝てしまったという。

 以前の施設でも利用者の染織や手芸などの活動に携わった。豊富な経験に同僚や上司も信頼を寄せる。池田英夫施設長(45)は「原発事故で被災し、避難中に病気もされて大変だったと思う。でもそれを感じさせず、私たちも勇気づけられる」と話す。

 松永さんは以前、福島県富岡町の知的障害者支援施設「光洋愛成園」で働いていた。同県楢葉町に住み、施設の生活支援員をしていた。原発事故のため施設は一一年四月〜一六年四月の五年間、高崎市の国立重度知的障害者総合施設「のぞみの園」に集団で避難した。

 事故後、施設の同僚や利用者らと暮らしながら、福島県いわき市に避難する両親のもとへも通う日々。避難が五年近くになり、施設の帰還準備が始まった同一月、松永さんはくも膜下出血で高崎市の病院に緊急入院した。翌月に退院したが、同四月に「体力的に不安」と退職し、県内でリハビリを続けてきた。

 昨年一月から県内で仕事探しを始めたが、六月に福島県内の母親が病気で死去。父親も体調悪化で八月に入院するなど不幸や心配事が続いた。松永さんも家に引きこもるようになったという。そんな状態を救ったのが避難後に親しくなった近所の人や避難者の友人。「家にいると『お茶飲みしよう』と声を掛けてくれてありがたかった」と振り返る。応援の声に背中を押されるように就職活動を再開した。

 今の仕事に「まだ他の職員のようには利用者から信頼されていない。利用者から頼ってもらえるように信頼関係を築けたらいいな」と松永さん。「先が見えない生活は続く。居住地も定まらないような状態だけど、一人で頑張れるうちは群馬にいたい」と話した。

 

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