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【群馬】

体験者が語る前橋空襲 総合福祉会館でパネルディスカッション

空襲の話を聞く参加者たち=前橋市の同市総合福祉会館で

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 戦争の悲惨さを語り継ごうと「七十四年前の『前橋空襲』」と題したパネルディスカッションが二十三日、前橋市総合福祉会館であった。市民らでつくる「前橋に“平和資料館”設立をめざす会」の主催。空襲の体験者たちが脳裏に焼き付いた記憶を呼び起こし、焼夷(しょうい)弾が街を襲った様子や学校での出来事を集まった約六十人の会員らに語り掛けた。 (市川勘太郎)

 「米軍の爆撃機B29から焼夷弾が投下されると、地面に落ちた瞬間に燃え上がった」

 当時小学校四年生だった同市大利根町の元教諭、石川隆さん(84)は証言した。父の指示に従い、家族六人でリヤカーを押しながら逃げた。「空が真っ赤に染まり、背中が熱かった」と振り返る。

 翌日に家の付近に帰ってくると、がれきで家がどこにあるのか分からなかった。共同で使っていた近所の井戸があり、ようやく場所を特定できたという。近くの防空壕(ごう)には焼夷弾が刺さっているなど、空襲の壮絶な跡も目の当たりにした。

 同市大手町の鈴木ヤエさん(87)は、戦時下の学校生活の様子を語った。現在の前橋女子高で一年時は勉強できたが、二年時からは風船爆弾を作る上級生の手伝いや、人手が足りない農家に出向いて麦刈りの手伝いをするなど、満足に勉強ができなかったという。

 二人の証言の前に、基調報告として元群馬大講師で同会の岩根承成会長(77)が一九四五(昭和二十)年八月五日夜に発生した前橋空襲を解説。文献に基づいて憲兵が避難する市民に剣を抜いて「なぜ家を守らぬのか、家へ帰れ」と叱る様子などに触れ、市民が消火活動をさせられた状況などを紹介した。

 パネルディスカッションの前にはめざす会の総会があり、発足した二〇一〇年からの活動状況を報告。今年は八月十〜十二日に企画展「地域から戦争を考える」を同市三河町の市芸術文化れんが蔵で開催する。

 前橋空襲は、投下された爆弾は計七百トンを超え、市街地の約八割が焦土となり、死者は六百人に近く、被災者は六万人以上とされる。

 

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