東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 群馬 > 記事一覧 > 6月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【群馬】

真田氏ゆかりの東吾妻の山城 岩櫃城跡が国史跡に

発掘調査で出土した主郭の石積み遺構

写真

 国の文化審議会が二十一日に史跡に新規指定するよう文部科学相へ答申した東吾妻町原町の岩櫃(いわびつ)城跡は、県内で最大規模の戦国時代を代表する山城として選定された。若者や女性も含む近年の「山城ブーム」に加え、大河ドラマに登場した真田家が在城した舞台でもあり、同町からは「観光客の増加へ弾みになれば」と期待の声が上がっている。 (菅原洋)

 県と東吾妻町の教育委員会によると、指定されるのは町有地や民有地などの約二一・二五ヘクタール。城跡は中世に、絶壁の山肌で知られる岩櫃山(標高八〇二メートル)の中腹に築かれた。

 一五六四年以降、甲斐の武田家の配下にあった信濃の真田家が吾妻郡支配の拠点にした。武田家が織田・徳川軍に追い込まれた際には、真田昌幸は武田勝頼を堅城の岩櫃城へ招き入れようとしたが、実現しなかったという逸話が伝わる。

 本能寺の変後、真田家は交通の要衝にあった沼田城まで進攻し、岩櫃城は沼田への中継拠点として重視された。江戸時代初期になり、徳川幕府が出した「一国一城令」などによって廃城になったという。

 城跡は標高六〇〇メートル弱にある東西約百四十メートル、南北約三十五メートルの陣地である主郭(しゅかく)を中心に四本の尾根上に郭(くるわ)が点在する。城域は山肌を広域的に削って敵兵が攻めにくくする水のない空堀や、防御のために土を盛る土塁などの工夫が複雑に張り巡らされ、保存状態は極めて良好。南北約六百メートルの範囲をひな壇状に造成した城下町もある。

 東吾妻町観光協会の武藤賢一事務局長は「岩櫃城跡は登山口から本丸(主郭)まで手軽に登れ、観光客は若者、カップル、家族連れに広がっている。国の史跡指定が弾みになれば」と期待を込める。

 同町は一月、岩櫃城をイメージした施設を利用して新庁舎を開庁するなど城跡を生かした観光振興に取り組んでいる。中沢恒喜町長は「国の史跡に答申されることに感動している。今後の町づくりの大きな活力になると思う」とのコメントを出した。

 今回の答申により、県内の国指定史跡(特別史跡を含む)は五十一件となる。

主郭を守る空堀(いずれも東吾妻町教委提供)

写真
 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報