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【群馬】

<志尾睦子のそふとフォーカス> (77)お盆のお迎え

今年はとりわけ乗りやすそうな精霊馬が青空に映えた

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 今年の夏も順調に、慌ただしく熱くあっという間に過ぎていく。お盆も終えたから気分はもう秋まっしぐらである。特に今年は、個人的にお盆をお盆らしく迎えられたこともあり、充足した夏気分で秋の入り口に立っている。気の持ちようというのはとても大事だと実感する。

 その理由は今年ようやく、高崎の志尾家にお墓ができたことにある。実はこれまで、お墓参りをお盆にした記憶が私にはほとんどない。お墓参りは法事のときや、あとは行けるときに、が通例でお盆やお彼岸に行くものではなかった。

 父方は北海道だから、遠方というのが一つの理由だ。母方の方は、今は埼玉にあるが私が子どもの頃は新潟だったので、それぞれ父や母が単独で出掛けていたような気もする。家族そろってというのはそうした混雑期を避けていくことが当たり前だった。その分、自宅でお盆のお飾りをして静かに過ごすのがわが家のお盆の過ごし方だった。

 子どもの頃、初めておかしなナスとキュウリの置物を見た時のことを今でもよく覚えている。それは玄関に置かれていて、母が精霊馬の説明をしてくれた。亡くなった人がこの馬に乗って家に帰って来るのだと。

 「本当はお迎えに行くんだけど、行けないから、迷わないようにお家(うち)はここだよって玄関に置くの」。そう言った母の表情は、子ども心にも伝わるものがあった。幼くして亡くなった長女を思う、寂しげでいとおしさをにじませた母親の顔だった。そしていつも地味なお仏壇が、たくさんのお供え物と盆ぢょうちんでとりわけ美しく飾り立てられるのを見て、特別な日を過ごす心持ちを自然に学んでいった気がする。

 毎年そんなお盆を過ごしながら、父が亡くなったのを機に、やはり近場にお墓が欲しいと思うようになった。そして今年、高崎の志尾家の墓を建てた。北海道に眠っていた長女を迎えに行き、父と一緒に新しいお墓に入ってもらった。今年は母と一緒に、お墓に眠る二人を迎えに行けた。あの時の子どもだった自分がようやく大人になれたと思えた時間だった。

 (シネマテークたかさき総支配人)

 

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