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【群馬】

上野国分尼寺跡で礎石発見 回廊の規模・構造判明

回廊跡北西隅の礎石。手前の白線は推定される回廊の角=高崎市で

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 高崎市教育委員会は九日、発掘調査中の古代寺院「上野国分尼寺(こうずけこくぶんにじ)」跡(高崎市東国分町)で、寺院の主要部を囲む「回廊」の礎石などを確認したと発表した。回廊跡で当時の状態の礎石を発見したのは初めて。これまでの調査と合わせ、回廊の規模と構造が判明し、市教委は「寺院の中心的建物で本尊を安置する金堂の位置を探る手掛かりになる」としている。 (石井宏昌)

 回廊は屋根のある廊下で金堂とつながり、寺院の重要な部分を囲んで配置された。梁間(はりま)(横方向の柱の間隔)が四・二メートル、桁行(けたゆき)(縦方向の柱の間隔)三・〇メートルで、東西五十四メートル、南北四十二メートルを巡る。回廊跡西側で多量の瓦が出土。しっくいのかけらも見つかったことなどから、回廊はしっくいを用いた白壁に朱色の柱だったと推定される。

 二〇一七年度の調査で、伽藍(がらん)地の南東部で礎石の下に敷く「根石」など回廊跡を確認。大量の瓦も出土し、市教委は「礎石立ちで瓦ぶきのしっかりした造り」とみていた。今回は対角線上になる北西部で礎石(長さ約一メートル、幅約〇・八メートル)や根石など回廊跡を確認した。礎石は回廊の北西隅に当たる位置にあり、当時のままの状態とみられる。

 木造の塔を模した土製の塔「瓦塔(がとう)」の破片も見つかった。柱部分は朱色、壁は白色で、実際の建物を再現した彩色を施し、金堂など建物内に安置されたとみられる。

 上野国分尼寺は奈良時代の七四一(天平十三)年、聖武天皇が発した「国分寺建立の詔」で上野国分僧寺(国指定史跡上野国分寺跡)とともに創建された。詔では僧二十人を置く僧寺と尼十人の尼寺建立が命じられた。

 これまでの調査で尼の宿舎「尼房」跡や伽藍地の南端と北端、東端は確認している。今後、金堂や西側の調査を進め、伽藍範囲の確定を進める。

 十五日午前十時〜午後三時半、三回に分けて現地で一般向け説明会を開く。問い合わせは市教委文化財保護課=電027(321)1292=、土日はかみつけの里博物館=電027(373)8880=へ。

 

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