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【群馬】

前橋城の堀跡2本出土 市教委調査 市議会棟の予定地

発掘が進む前橋城の堀跡(中央)。左方向へもう一本の堀跡が延びている=前橋市で

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 前橋市教育委員会が発掘調査している市議会棟の建設予定地(同市大手町)で、江戸時代中期ごろとみられる前橋城の堀跡二本の一部が出土したことが分かった。約三百三十年前とされる江戸時代の絵図には出土場所に近い位置に堀が描かれ、堀跡は藩主が徳川幕府で最高級の家格を誇る重臣の酒井氏時代と考えられる。江戸期の柱穴や井戸跡なども出土し、一帯に武家屋敷があったとみられることも判明した。 (菅原洋)

 発掘調査は今月初め、市役所の西で、現在の市議会棟の南に隣接する市有地の約千平方メートルを対象に開始。今週初めに二本の堀跡が出土し、発掘は今月末で終える予定。

 二本のうち一本は敷地の南辺で東西方向へ延びている。二十一日現在で、出土した幅は約三メートル、長さは約十メートル、深さは約一・五メートル。もう一本は一本目より古く、一本目と一部が重なり、北へ延びている。二本目の出土した幅は約一・五メートル、長さは約二十メートル、深さは約七十センチ。

 一六八七(貞享四)年の前橋城絵図によると、堀跡が出土した場所は城の南部に外堀が描かれ、幅が約三メートルの堀はこの外堀とみられる。絵図では、外堀と一部がつながるように細い堀も描かれ、幅が約一・五メートルの堀はこの細い堀の可能性があるという。

 細い堀跡からは、江戸時代の瓦や陶磁器類のそれぞれ破片が計数十個出土。外堀とみられる堀跡の北側からは江戸時代と近現代の柱穴が約八十個、井戸跡が十数基出土した。一帯には江戸時代に外堀内側の陣地や居住地の「縄張り」があったとみられ、武家屋敷の遺構と考えられる。

 前橋城は利根川を天然の要害に用いた平城。戦国時代に長野氏が築いたと伝わり、小田原の北条氏に攻略された後、越後の戦国武将・上杉謙信が関東進出の拠点とした名城だ。

 城は武田氏、織田氏などに渡った後、関東に入った徳川家康が平岩氏、酒井氏を入城させ、酒井氏が三層の天守を建造したという。酒井氏の中でも、忠清は将軍に次ぐ重職「大老」を務めて権勢を振るい、十五万石に加増された。

 前橋市教委は近く発掘調査した場所を埋め戻し、現地の説明会や公開は予定していない。

 

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