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【茨城】

<いばらき平成回顧>(下)TX開業 陸の孤島から牽引役に

人口が増え続けるつくばエクスプレス沿線。手前は万博記念公園駅=つくば市で、本社ヘリ「おおづる」から

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 つくばエクスプレス(TX)が開業した平成十七(二〇〇五)年八月二十四日早朝。つくば駅で式典の後、発車の合図のメロディーが流れると、地元生まれでつくば市職員の岡野渡さん(47)は、目頭が熱くなった。

 「つくばに電車が来るなんて…。こんな日が来たんだな」。子どもの時は、まだ研究機関の合間は空き地だらけ。つくば市は交通の便が悪く「陸の孤島」とも呼ばれていた。開業まで七年間、沿線開発を担当。連日深夜まで働き、感慨もひとしおだった。

 つくば市中心部と東京・秋葉原間五八・三キロをつなぐTXの整備は、一九八五年に国の運輸政策審議会に答申された。九一年に第三セクターの運営会社「首都圏新都市鉄道」が設立され、九四年に起工した。

 国土交通省で鉄道局長や次官を務めた小幡政人さん(73)は「建設は守谷まで、というのが鉄道関係者たちの認識だった。当時の竹内藤男知事が『何でも対応するから』と熱心に働きかけたため、つくばまで延ばすことになった」と振り返る。

 TX整備で特徴的だったのが、鉄道建設と宅地開発を一体的に進めたこと。沿線に人口を張り付かせ、需要を生んで鉄道経営を成り立たせるためだった。国は一体的に用地を確保する「宅鉄法」を成立させ、県や都市再生機構などが沿線約千七百ヘクタールの区画整理に取り組んだ。

 起工したのはバブル経済崩壊の後遺症に悩む「失われた十年」の不況下。だが、開業が予定より五年遅れたことが幸いした。

 小幡さんは「開業当時は、不況からの経済回復期。いくら宅鉄法をつくっても、民間投資が沿線に集まらなければどうにもならない。最初の一カ月の利用者数を見て、ようやくほっとした。TXは時代に恵まれ、幸運だった」と指摘する。

 「『茨城はタヌキしか乗らないんじゃないの』と冗談を言われるほど、何もない土地だった」と、九一年から県職員として担当した横山仁一さん(65)。年間百回も東京と水戸を往復し、関係機関との調整などに追われた。「沿線開発が遅れれば、守谷より先は切り捨てられるかもしれない。そんな危機感は、かなりあった」と当時の様子を語る。

 県によると、現在の沿線三市の人口を開業時と比べると、つくば市は十九万人から二十三万人に。つくばみらい市は四万人から五万人に、守谷市は五万三千人から六万七千人へと、軒並み増えた。県を活気づける牽引(けんいん)役になっている。

 沿線では今も土地の造成が続き、人口増が予想される。だが、学校の整備や列車の混雑、つくば駅周辺の空洞化という新たな課題も浮上してきている。

 横山さんは「沿線のまちづくりは、まだまだ途中でこれからが本番。人口減少の時代だが、県と沿線市が頑張り、いい街にしなければ」と話した。(宮本隆康)

つくば市中心部を走るつくばエクスプレス=市内で

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