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【茨城】

名槍「御手杵」が結ぶ縁 各地の関係者招き、結城で「サミット」 

結城家の象徴と伝えられている御手杵の復元作=結城市の結城蔵美館で

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 現在の結城市を拠点としていた戦国武将の結城晴朝(はるとも)(一五三四〜一六一四年)が鍛造させた「天下三名槍(さんめいそう)」の一つ「御手杵(おてぎね)」を巡り、市は二十五、二十六日の両日、ゆかりの地の関係者を招いた「サミット」を市内で開く。復元された市内外の御手杵も集結する一大イベントで、市は多くの来場に期待を寄せている。 (越田普之)

 御手杵は、静岡県島田市にいた腕利きの鍛冶職人が手掛けた。福岡藩主だった黒田家伝来の「日本号」、徳川家家臣の本多忠勝が愛用した「蜻蛉(とんぼ)切」とともに天下三名槍と称される。三メートルを超す長大さから実戦用でなく、大将の居場所を示す馬標(うまじるし)として使用されたと考えられている。さやの素材には熊の毛皮が使われた。

 結城家は晴朝亡き後、養子秀康(一五七四〜一六〇七年)の五男直基(なおもと)(一六〇四〜四八年)が継ぎ、御手杵も継承。「松平」に改姓し、結城松平家と呼ばれた直基の子孫も家宝として守り伝えた。

 一九四五年五月二十五日の東京・山の手空襲で失われたため、二〇〇三年に島田市から結城市にレプリカが寄贈された。

 サミットは、レプリカを所蔵する結城蔵美館の開館五周年を記念して企画した。御手杵は結城松平家の所領だった埼玉県東松山市や前橋市でも復元され、埼玉県川越市ではさやが作られており、サミット初日には計四本の御手杵とさやが結城市民情報センターで合同展示される。パネルディスカッションもあり、復元に携わった各地の関係者に加えて、結城家の顕彰に取り組んできた市内や福井市の団体が参加する。

 二日目は、御手杵とさやが分散展示されるほか、秀康が建立した弘経寺で結城家に関係する寺宝の公開を予定している。

 市は結城蔵美館の開館一周年でも御手杵を使ったイベントを開いたが、今回は各地の関係者が集う機会でさらなる盛り上がりに期待する。担当者は「市内に来ていただいた方に、風情ある街並みを楽しんでもらえたら」と話している。

 

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