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【茨城】

<ひと物語>戦地の記憶、語り継ぐ パラオ・ペリリュー島から生還 旧日本兵の孫・原宏美さん(40)

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 太平洋戦争末期、激しい戦闘が繰り広げられたパラオ・ペリリュー島。死線を生き抜いた旧日本兵の祖父を持ち、地獄のような戦いの記憶を継承すべく活動している。四十歳と若いが、「私がやらなければならないという使命感がある」と力を込める。

 愛情を込めて「じいちゃん」と呼んでいる祖父の裕さんは、水戸市を拠点にしていた歩兵第二連隊に所属し、ペリリュー島の守備についた。連隊は米軍の猛攻の前に壊滅したが、裕さんは三十三人の仲間と島に潜伏し続け、戦争終結の二年後に帰還した。

 裕さんは二〇〇〇年に亡くなった。生前に戦争の話を聞いたことはほとんどない。家にはペリリューの戦いを記録した写真集もあったが、幼いころは恐ろしくて開く気になれなかった。就職するころは遊びたい盛りで、戦争の歴史に意識は向かなかった。

 考え方が大きく変わったのは、二〇一五年四月に上皇ご夫妻がペリリュー島を慰霊に訪れたことだった。現地からの映像などを見て「じいちゃんはこういう所へ行っていたのか。本当に大変な経験をしていたんだ」と衝撃を受けた。

 「生きている時、もっと話を聞けばよかった」との後悔を胸にしまい、その足跡を知ろうと実家に残る遺品を調べ始めた。すると、旧満州(中国東北部)に駐屯していたころの写真や通帳が見つかった。ペリリュー島で武装解除に応じた際、米軍に撮影されたとみられる写真もあった。

 パラオで旧日本兵の遺骨収集に当たる「水戸二連隊ペリリュー島慰霊会」とも連絡を取った。事務局長の影山幸雄さん(74)=水戸市=に裕さんの遺品を見てもらうとともに、戦争や島について教えを請うようになった。一八年からは会の理事も任されているが「同年代の人がいない。この先が心配」と表情を曇らせる。

 また、裕さんとともに生還を果たした永井敬司さん(97)=茨城町=の存在を知り、積極的に話を聞きに行くようになった。腐敗が進む遺体に触ってしまった時の感触や、精神的に耐えられなくなり死んでしまった仲間がいたこと−。聞けば聞くほど、絶対に戦争を繰り返してはならないとの思いを強くしている。

 今やるべきことは、永井さんから可能な限りの話を聞き取っておくことだと思っている。同時に、かつて目を背けた写真集などの資料と向き合う日々を送る。気付けばスマートフォンのデータは、戦争関連ばかりになった。

 「声がかかれば講演などもやっていきたい。そうやって話をしていかないと忘れられてしまう」。心に決めているのは、いつの日かペリリュー島を訪れること。その時には、祖父が見た景色を目に焼き付けてくるつもりだ。(越田普之)

<はら・ひろみ> 1978年6月、行方市生まれ。県立石岡二高を卒業後、県内のカントリークラブなどで働く。昨年4月から今年3月までは、県の臨時職員として旧日本陸軍の軍人・軍属の軍歴証明書類の発行業務などに携わった。現在は県内の団体に勤務している。

 

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