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【茨城】

<ひと物語>悲運の横綱 勇気づけ 稀勢の里の人生を相撲甚句につづった作詩家・沼川淳さん(75)

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 約半世紀にわたり浪曲や歌謡曲、相撲甚句の詩を手掛けてきた。牛久市出身の元横綱稀勢の里(現荒磯親方)が新入幕を果たした二〇〇四年から今年一月に現役引退するまでの約十四年間は、四作の相撲甚句でエールを送り続けた。

 「歌謡曲の歌い手に憧れて音楽の世界に入った」。父の反対で歌い手になる夢はかなわなかったが、歌の恩師から「歌い手だけが歌謡曲の世界じゃない」とアドバイスされたのをきっかけに、「作詩家」を志した。「作詩家」という呼び名にはこだわりがある。「洋楽やポップスは作詞、浪曲や相撲甚句など日本に古くからある曲は作詩だ」

 「デビューしたくても、なかなか採用してもらえなかった」と振り返る。しかし、残留孤児やシングルマザーなどを題材にした社会派の浪曲を書いたところ、道が開けた。「(一九六〇年代当時は)浪曲が古いものという認識があったけど、新しいものを取り入れたら注目を浴び、メディアで取り上げられた」

 荒磯親方の人生と交錯するのは、幕内昇進が確実になった〇四年秋。全日本相撲甚句協会の山下晃生(てるお)会長から「お祝いの甚句をつくってくれないか」とオファーを受けた。浪曲関係のテレビ番組に出演したのが山下会長の目にとまった。

 一作目となる「出世甚句 稀勢の里」を翌年一月に発表。横綱白鵬の連勝を六十三で止める大金星を挙げた一〇年、そして横綱に昇進した一七年には「これはつくらないと」と思い立ち、オファーが来る前に「誉れの稀勢の里」と「猛牛の夢」を書き上げた。

 特に横綱昇進は待ちに待った瞬間だった。「すばらしい記録もあったけど、なかなか上に上れず足踏みが続いていた」。相撲甚句が縁で荒磯親方と直接交流が生まれた。

 十九年ぶりの日本出身横綱はけがに悩まされた。自身は主題歌をつくったアニメがお蔵入りとなるなど苦境に陥ると、「もっと修業せい、ということだと考えるしかない」と乗り越えた。そんな経験を念頭に、「苦に親しむ」「恥の上に立つ度量」「愚に徹する」などと色紙にしたためては贈った。

 荒磯親方が現役引退を表明すると、はなむけに四作目の相撲甚句「悲運を糧に」を作詩した。横綱として短命に終わってしまった悲運をばねに、次世代を育ててほしいという願いを込めたという。

 「悲運を糧に」は今年二月、荒磯親方が引退後初めて地元・牛久市に戻った際、激励会の席で牛久相撲甚句会の会員が初披露した。九月の断髪式で再び歌われる予定だ。 (水谷エリナ)

<ぬまかわ・じゅん> 1944年5月、つくばみらい市生まれ。1964年に岩倉高(東京都台東区)を卒業し、国鉄(現JR)に就職。勤務の傍ら歌のレッスンに励み、退職後は作詩家に。学生時代から会社四季報が好きで、「社長になりたかった」と土浦市で不動産会社を設立したこともある。

 

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