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【茨城】

<つなぐ 戦後74年>終戦記念日 戦争体験者から話を聞く 県立歴史館

会場では投下された焼夷弾の金属容器や砲弾の破片などの展示も=いずれも水戸市で

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 戦後74年となる終戦記念日の15日、戦争体験者から話を聞く催しが水戸市の県立歴史館で開かれた。海軍の少年兵だった大谷岩男さん(88)と、中国・北京で終戦を迎えた柏俊子さん(80)=ともに市内在住=がそれぞれ講演。参加者は「二度と戦争を起こしてはいけない」と改めて不戦の思いを強くしていた。 (宮尾幹成)

 催しは、市立博物館が主催。「わたしは戦争を忘れない−昭和20年8月『あの日』の記憶−」と題し、講演のほか、1945年8月2日の水戸空襲の解説などがあった。

◆海軍少年兵・大谷岩男さん(88) 黙って志願、母「行かないで」

 大谷さんは14歳の時、当時の男子の憧れだった海軍飛行予科練習生(予科練)に親に黙って志願し、合格。それを打ち明けると、母親に「行かないで」と泣かれた。だが、一度決心した入隊をあきらめられず、45年4月に水戸を出た。

 和歌山県の部隊を経て、6月に現在の笠間市にあった筑波海軍航空隊に配属され、終戦までを過ごす。特攻隊として散った仲間もいた。広場で整列して聴いた昭和天皇の玉音放送は、14歳の少年には意味が分からなかった。

 水戸に帰ったのは8月28日の夕方。ドラム缶の風呂に漬かりながら、薪の明かりに照らされた母親と軍隊生活について話したのが忘れられない思い出という。「戦争は恐ろしく、みじめで悲しい。自分の過酷な体験を子孫の代まで遭わせてはならない」と平和の尊さをかみしめた。

筑波海軍航空隊での体験を振り返る大谷岩男さん

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◆北京で終戦迎える 柏俊子さん(80) 九州まで貨物船「生きて帰れて良かった」

 柏さんの父親は北京の日本領事館勤務で、幼いころは裕福な生活だった。だが、8歳で迎えた終戦を境に、環境は一変。日本人の女性や若者が中国人に連れ去られる光景も目にした。46年1月に、日本へ引き揚げることになった。

 貨物列車で移動中に線路が爆破されたが、柏さん一家は後ろの車両に乗っていて命拾い。そこからは牛車に乗り、35日かけて青島(チンタオ)の日本人収容所にたどり着いた。その間、食事をした記憶が全くないという。

 九州に向かう貨物船で、誰かが「内地が見えてきたぞ!」と歓声を上げると、体力も気力も尽き果てていた人たちが一斉に立ち上がり、喜び合った。「生きて帰れて良かった」と振り返り、「多くの国民が犠牲になって今の平和と繁栄がある。敗戦の中から生まれた平和憲法を世界に広めたい」と締めくくった。

北京からの引き揚げ体験を語る柏俊子さん

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 講演に先立ち、戦争を語り継ぐ活動を続ける元市立博物館長、玉川里子さんも登壇。約5万人が被災した水戸空襲について、米軍機がまいた空襲を予告するビラや、炎上する水戸駅を描いた絵などをスライドで示しながら解説した。

 会場には、市内に落とされた焼夷(しょうい)弾の金属容器や、米軍艦から撃ち込まれた砲弾の破片などの展示も。食い入るように見つめていた水戸市の緑岡中1年、栗原侑誠(ゆま)君(12)は「実際に戦争を体験した人の話を聞いて、本当にこんなことがあったんだと驚いた。二度と戦争を起こしてはいけないと思った」と話した。

 

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