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【茨城】

「過ち繰り返してはいけない」 東海村JCO臨界事故から20年

 東海村の核燃料加工会社「ジェー・シー・オー(JCO)」の臨界事故から、30日で20年となる。この間も、関西電力美浜原発(福井県)の作業員5人の死亡事故や東京電力福島第一原発事故などが起き、「核」への不信は消えない。27日にも、関電幹部が高浜原発(福井県)を巡り巨額な原発マネーを受け取っていたことが発覚した。それでも、村にある日本原子力発電東海第二原発が再び動きだそうとしている。再稼働に反対する村民は「過ちを繰り返してはいけない」と訴える。 (松村真一郎)

「原発問題は命の問題として捉えてほしい」と話す津幡美香さん。後ろに見えるのが日本原子力発電東海第二原発=東海村豊岡で

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◆東海第二再稼働中止求める 主婦・津幡美香さん(48) 「自分に関係あると捉えて」

 村内に住む主婦の津幡美香さん(48)はJCOの事故時、村にある日本原子力研究所(現・独立行政法人日本原子力研究開発機構)の事務職として働いていた。

 JCOから南東に約五キロ離れた事務所で勤務中。外で昼食を取り事務所に戻り、テレビで臨界事故が起きたことを知った。「JCOの場所も、臨界という言葉の意味も、よく分からなかった」。帰宅を促され、屋内退避が呼び掛けられたが、危険性は認識できていなかったという。

 屋内退避は翌日の夕方に解除になった。もう終わったから大丈夫と、事故については深く考えなかった。「早く安心したかっただけだった。それ以上のことは考えなかった」

 原子力施設で働いていたこともあり「なぜこんな事故が起こったんだろう」と思うようになったが、時が過ぎ、事故の衝撃の感覚は薄れていった。

 そんな状況で二〇一一年三月、福島第一原発で事故が起きた。「原子力事故が繰り返されたのはJCO後に私たちが真剣に考えず、安全神話を崩そうとしなかったからだ」と強く思った。

 東海第二原発でも、海岸に五・四メートルの津波が押し寄せ、あと七十センチ高ければ防護壁を越えていた。「東海第二で事故が起こらなかったのは奇跡。これは自然界からのメッセージだと思った」

 福島の事故後、原発に関する勉強会やイベントに参加。翌一二年には、村内の主婦たちと団体「リリウムの会」をつくり、東海第二の再稼働中止を求める請願を村議会に提出した。

 請願は実っていないが、村内にある放射性廃棄物量を示したマップ作りや原発について考えてもらうイベントを県内外で開くなど地道な活動を続けている。

 核は取り扱いを誤れば、周辺住民の命や生活を脅かすことになる。「JCOの時のように、原子力の危険性を忘れてしまったら、また繰り返すかもしれない。原発問題は命の問題として、自分にも関係があるんだと捉えてほしい」と説く。

「原発はやめるべきだ」と力を込める相沢一正さん=東海村舟石川駅東で

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◆原発に反対する元村議・相沢一正さん(77) 「村内でも事故に対する意識に差」

 村の元村議の相沢一正さん(77)は、JCO臨界事故をきっかけに議員になり、原子力に頼らない村づくりに尽力してきた。原発事故は大きな被害が出ることから、脱原発を訴える。

 相沢さんは、JCO事故が起きた翌年の二〇〇〇年の村議選で初当選した。事故以前から、東海第二の設置許可取り消し訴訟の原告団に加わり、原発に反対する立場でいたが、事故をきっかけに「村の政治に関わらない反原発運動はどうなのか」と友人に促されて立候補した。原発反対を明言して当選したのは、村議では初めてだった。

 計三期十二年務めた議員活動では、栽培した菜の花を活用して公用車を走らせる取り組みを進めるなど、原発がなくても村経済が成り立つようにすることを考えてきた。

 村は原子力によって発展してきた歴史があるが、JCO事故で「発展の裏にある原子力の危険性が明らかになった」と話す。「事故後の農作物に対する風評被害により、人生を変えられた人もいる」

 事故から二十年。村の中でも、事故に対する意識の差を感じるという。「JCO周辺に住んでいる人は、事故当時のことをはっきりと覚えて話せるが、(JCOから離れた)海側に住む人たちの中には『そんなことあったのか』というほど関心がない人もいる」

 JCOの事故、そして福島第一原発事故で、人が核をコントロールできないことがはっきりし、原子力の「安全神話」は崩れた。「何十年に一度でも、何百年に一度でも、原発事故が起きてしまったら、無害化できない放射性物質を放出する可能性があり、甚大な被害が出る。原発はやめるべきだ」と力を込める。

職員に訓示する山田村長(中央)=東海村役場で

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◆村長「原子力防災、常に意識を」

 JCO臨界事故から二十年になるのに合わせ、山田修村長が二十七日、村役場で職員に訓示した。事故を後世に語り継ぐことが使命だとして「原子力防災を常に意識することを肝に銘じてほしい」と語り掛けた。

 部課長級の職員三十八人が出席。冒頭に、事故で亡くなった作業員二人に対して、出席者全員で黙とうした。

 この二十年間に、福島第一原発をはじめ原子力事業所で事故やトラブルが続いていることに「『またか』『なぜ事故は続くのか』という強い思いを感じている」と話した。原発事故から八年半がたったが、「国民の原子力利用に対する理解や信用はまだまだ低下したままだ」と指摘した。

 村内で今月七日、JCO事故を振り返る原子力安全フォーラムを開いたことに触れ、安全に対して努力し続けることを事業者と共有できたとした。その上で、事業者には「組織全体の危機管理能力を高めてほしい」と求めた。

 JCO事故は一九九九年九月三十日に発生。転換試験棟で核燃料製造の際に、大量のウラン溶液を本来の用途と異なる容器に注入した結果、核分裂が続く臨界状態になった。

 作業員三人が大量被ばくし、うち二人が死亡、住民ら約六百七十人も被ばくした。臨界は約二十時間続き、三百五十メートル圏の周辺住民に避難、十キロ圏の約三十一万人に屋内退避が呼び掛けられた。JCOや社員六人が刑事裁判で有罪判決を受けた。

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