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【茨城】

<ひと物語>満蒙開拓団の体験聞き取り自費出版 古谷利一(ふるや・としかず)さん(81)

自費出版した冊子を手に「戦争を知らない若い世代に見てほしい」と話す古谷さん=守谷市で

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 太平洋戦争時の国策に翻弄(ほんろう)され、戦後も現在の守谷市などで苦労を重ねた大八洲(おおやしま)開拓団の体験者の声を集めた冊子「日本に帰りたい」を自費出版した。「戦争を知らない若い世代が多くなっている。悲惨な歴史があったということを記録したかった」

 守谷市で営んできた酒屋を六十四歳で長男に譲ると、以前から興味を持っていた書や漆工芸などに打ち込んだ。「仕事をしていたときには暇がなくできなかったことを何でもした」

 引退から十年後、第二の人生をつづった冊子を自費出版した。紙に書き残すことへの関心が高まった。

 守谷市は高度経済成長期のニュータウン開発で急成長し、二〇〇五年のつくばエクスプレス開業後は、都内に通勤する「茨城都民」がさらに増加した。その陰で、大八洲開拓団の元団員たちがひっそりと暮らしてきた。

 開拓団は、太平洋戦争中に旧満州(中国東北部)へ入植した満蒙(まんもう)開拓団の一つ。「大八洲」は日本の古称。元団員のほとんどは山形県出身者だが、戦後は故郷には帰らず、現在の守谷市などに新天地を求めた。

 近所にも元団員たちが住んでいた。「当時を知る人たちが亡くなったら、歴史が忘れ去られてしまう」と危機感を抱き、聞き取りを始めた。

 自宅を訪ねたり、公園で散歩に付き合ったりして関係を築いていった。実際に中国にも足を運んだ。三、四年かけてまとめたのが「日本に帰りたい」だ。

 手書きによる三部構成のページ数は計五百ページを超える。旧満州は終戦間際に参戦したソ連の兵士に攻め込まれ、多くの日本人が亡くなった。「亡くなった子を(中略)背負ったままよろよろと歩き続ける母親もあった」「道すがら遺体に土が申し訳程度にしかかけられていないものが多く、明日はわが身かの思いだった」。元団員の口から発せられたのは、想像を絶する当時の過酷な状況だった。

 命からがら日本に戻った元団員たちは、守谷市などで新たな開墾事業を進めたが、食料難でサツマイモしか食べられず、ヘビやカエルを口にしたこともあった。「つらくて、本を書いているときに何度も涙を流した」。胸が痛くなると同時に、今のうちに記録に残さねばと強く感じた。

 冊子は守谷市などの図書館に寄贈した。読者からの「感動して四回読み直した」という感想を耳にしたときは「そのことに感動した」と喜んだ。

 戦争を知る世代は高齢化し、語り継がれる機会は徐々に失われつつある。「特に若い世代に手に取ってもらいたい」と願っている。 (松村真一郎)

 「日本に帰りたい」は守谷市の全図書館のほか、つくば、小美玉、坂東、取手各市の一部図書館にも置かれている。希望者には無料配布も。問い合わせは古谷さん=電0297(48)1104=へ。

 

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