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【茨城】

「廃業せず 社員の雇用守る」 台風19号 大子の家具店被災 存続の岐路

「窓の下あたりまで浸水した」と手で指し示す根本さん

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 市町村の統廃合が続いた平成の大合併の当時、「合併しない宣言」を打ち出した福島県矢祭町の根本良一元町長(81)が経営する大子町の家具店が台風19号で被災し、存続の岐路に立たされている。だが、矢祭町の自立に道筋をつけたように、二十人弱の社員が路頭に迷わないよう次の手を模索する。 (水谷エリナ)

 「天井近くまで水に漬かった。消費税増税に備えて、約八千万円分多く仕入れていて、全部で十億三千万円の被害が出た」

 根本さんは、店内に残された廃棄予定の家具を見ながら、そう嘆いた。

久慈川と支流の合流地点近くにある矢祭町元町長の根本さんの店=いずれも大子町で

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 台風19号で大子町内の久慈川などが氾濫し、店舗が浸水。商品のソファや棚などは散乱し、泥まみれになった。ダンプカー九百台分の商品を廃棄した。

 根本さんは一九八三年、矢祭町長に初当選。六期二十四年の在職中に平成の大合併があった。国は合併すれば、有利に起債できる合併特例債のニンジンをぶら下げ、財政が苦しい市町村が飛び付き合併が進んだ。

 だが、根本さんは二〇〇一年に「合併しない」と内外に宣言した。当時をこう振り返る。「合併したところで、住民にとっていいことはなかった。合併は、国が市町村に配る交付金を減らしたいだけ。合併はせずに、町で努力するという判断だった」

 町役場の経費を節減し行財政改革を断行。職員の給料も減らした。合併した市町村が地図から次々と消えていく中、痛みに耐えて「矢祭」の名を残した。報道で全国的にも知名度が上がった。「矢祭町の名を正しく読んでもらえて、隣接する大子町と(福島県)塙町が分からなくても、矢祭町の隣だと言えば分かってもらえるようになったのが一番の名誉」と話す。

 家具店は、町長になる前からの家業だった。大子町の廃業したボウリング場を知人から紹介され、矢祭町から本店を移転してオープンし四十年を超えた。〇七年に町長を引退して以来、経営に専念してきた。

 だが、台風は一瞬にしてすべてを奪い去った。大きな損失だったが、廃業は考えていない。苦楽をともにした二十人弱の社員がいる。「社員は内心、店を続けるかどうか不安だと思う。だが、待遇と給与を変えずに雇用を守っていく」と決意した。「(家具店は)事務所があって、営業会議をやればできる商売」とし、新しくつくる事務所で注文を受け付ける形態も検討している。

家具が散乱した被災直後の店内(根本家具店提供)

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