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【茨城】

<ひと物語>運転技術向上 無限に レーシングドライバー・山野哲也(やまの・てつや)さん(54)

レーシングスーツを着た山野哲也さん=守谷市で

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 守谷市在住で、自動車レースの「全日本ジムカーナ選手権」で通算百十四勝、年間チャンピオン十九回を誇る。国内最高峰の市販車レース「SUPER GT」では三連覇を果たすなど、伝説的存在とされる。

 小学生の頃から車が好きで、大学の自動車部でレースに出場し始めた。コースを一台ずつ走りタイムを競うジムカーナのデビュー戦は二十一歳の時。狭いコースを一分三十秒ほどで走り抜ける競技で、最高速度よりも、コーナーを曲がる速さなど、運転技術がより重視されるという。

 「スタートから約三十秒後、最初のヘアピンのコーナーで横転し、ガラスも割れてリタイアした。人から借りた車だったのに」と苦笑いする。

 ショックを受けたが「『あれは運転が悪い』と言われて『じゃあ、うまくなってやろう』という気持ちが芽生えた。向上心を与えてくれる経験になった」と振り返る。

 卒業後は自動車メーカーのホンダに就職した。オートバイの営業や企画の仕事をしながら、週末や有給休暇に自費でレースに出場していた。

 当時は「プロのレーサーには、なりたいけどなれない。上には上がいる」と考えていた。しかし、二十六歳で初めてジムカーナの年間チャンピオンに。その後も好成績を残し、運転を突き詰めたい気持ちが強くなった。

 「会社の仕事は、自分がいなければ誰かが代わりを務める。でも、レーサーに代わりはいない。代われる人がいない存在になりたい」と九年間勤めた会社を三十一歳で辞め、プロに転向した。

 レースでの運転を「タイヤと路面の摩擦の状況を把握しながら、千分の一秒単位の操作を繰り返す作業」と評する。集中力を重要視し、週末にレースがあれば月曜から早寝早起きを続け、酒を飲まずカフェインも取らない。ストイックにレースに向き合っている。

 「負けた時に『あと三十分早く寝ていれば』と思うのは嫌だから。これ以上は千分の一秒も速く走れないと思えるように、抜かりなく準備に時間をかけている」という。

 五十代半ばまで、優勝回数を積み重ねてきたが「今まで数字を目標にしたことはなく、これからもない」と淡々と語る。「目標は運転が無限大にうまくなること。年齢を重ねても辞めない。高齢になって運転が下手になった時が、辞める時」と思っている。 (宮本隆康)

 

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