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【茨城】

戦争 世代超え語り継ぐ ペリリュー島に記念碑建立へ 来年4月

パラオ・ペリリュー島の「西太平洋戦没者の碑」に供花、拝礼される当時の天皇、皇后両陛下。この碑の左側に、記念碑の建立が計画されている=共同

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 太平洋戦争中に激戦地となったパラオ・ペリリュー島に二〇一五年、当時の天皇陛下が初訪問されたことを記念し、遺骨収集などをしている「水戸二連隊ペリリュー島慰霊会」が来年四月、現地に碑の建立を計画している。ペリリュー島から生還し「最後の生き証人」と呼ばれた茨城町の永井敬司さんが今年十一月に亡くなっており、関係者は記念碑を通じ「世代を超え、戦争を語り継いでいく」と話す。 (水谷エリナ)

故・永井敬司さん

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 慰霊会によると、記念碑は一九八五年に日本政府がペリリュー島の南端に建立した「西太平洋戦没者の碑」の向かって左側に設置する。二〇一五年四月に当時の天皇、皇后両陛下(現上皇ご夫妻)が初めて島を訪問し、五年の節目となる二〇年四月九日に除幕式を開く予定にしている。

 記念碑は、土台を入れて約二・七メートルの大きさ。上皇さまがペリリュー島で西太平洋戦没者の碑に供花したことに続き、同じく多くの戦死者が出たアンガウル島に向かって拝礼した際の情景を詠んだ歌や、上皇后さまの歌なども刻むという。

 慰霊会は戦争の記憶が風化しつつあった中で、上皇ご夫妻が訪問したことで歴史を改めて知ってもらう機会になったとし、会の事業の一つとして建立することを決めた。宮内庁やパラオ政府などからも了承を得たという。建立に向け、今年十一月十八日に「ペリリュー島記念碑建立委員会」を設立した。

 ペリリュー島では一九四四年九月に米軍が上陸。守備していた水戸歩兵第二連隊を含む旧日本軍約一万一千人のほとんどが戦死した。生き残った兵の一部は終戦を知らずに洞窟で潜伏し、三十四人が四七年四月に武装解除して生還した。

 三十四人のうち、最後まで存命だった永井さんは今年十一月四日、九十八歳で大腸がんで亡くなった。永井さんは長年、二度と戦争を起こさせないという願いで体験談を講演してきた。本紙の取材にも「戦争を放棄した世界に冠たる憲法を守り、平和であり続けることが一番だ」などと語り、平和への思いは強かった。

 慰霊会の影山幸雄事務局長(74)は「永井さんが亡くなったから終わりではない。世代を超えて戦争を語り継いでいかないといけないと思っている。記念碑の建立が一つのきっかけになれば」と話した。

 建立の事業費五百万円は、個人や企業から寄付を募る。寄付額は個人が一口五千円、企業が一口一万円。振込先は常陽銀行水戸駅南支店、普通「1417961」で名義は「ペリリュー島記念碑建立委員会」。問い合わせは影山さん=電029(227)1515=へ。

 上皇さまの歌

 戦ひにあまたの人の失せしとふ島緑にて海に横たふ

 上皇后さまの歌

 逝きし人の御霊(みたま)かと見つむパラオなる海上を飛ぶ  白きアジサシ

記念碑の完成イメージ図(水戸二連隊ペリリュー島慰霊会提供)

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