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【神奈川】

<元気人@かながわ>元少年工に報いたい 「高座日台交流の会」会長・石川公弘さん(84歳)

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 台湾に縁のある県民らでつくる「高座日台交流の会」会長として、戦時中に高座海軍工廠(こうしょう)(座間市、海老名市)で軍用機の生産に携わった台湾の元少年工と交流を続ける。先月は、大和市で少年工来日七十五周年の歓迎大会を開いた。「縁あって始まった台湾と関わりある人生。生涯、交流を続けるのが使命」と語る。

 「子どもの頃から知る少年工の皆さんは、本当に心優しい人たちだった」。元少年工二十二人が参加した歓迎大会の壇上、実行委員長としてあいさつに立ち、こう振り返った。

 交流の始まりは一九四三年秋。鵠沼(藤沢市)の国民学校の校長だった父が、海軍大佐の依頼で同工廠の寄宿舎監を務めることになり、家族で高座郡大和町(現大和市)に移った。当時九歳。寄宿舎で少年工からあめをもらうなどした記憶が残る。

 少年工は、戦局の悪化に伴う労働力不足を補うため、旧制工業中学の卒業資格を与える条件で募った。主に十代の約八千四百人が来日。寒さで凍傷になり、ノミやシラミにたかられながら汗を流した。それが終戦を迎えると、約束は守られず、ほとんどが卒業資格を与えられないまま帰国。交流も途絶えた。

 転機は九二年五月。元少年工でつくる「台湾高座会」の会員ら約三十人が大和市役所を訪れ、市議長として面会した。「その日は議長に選ばれた翌日。市長は外出中で、偶然にも助役に呼ばれて同席することになり、不思議な縁を感じた」

 父が寄宿舎監だったと伝えると、会員から高座会の総会への出席を依頼され、半年後に台湾を訪問。高座会から「来日五十年で、第二の故郷に里帰りしたい」と提案があり、歓迎する意思を伝えた。翌年、五十周年の歓迎大会を開き、以後、六十、七十周年の大会も企画した。台湾もほぼ毎年訪れ、元少年工と旧交を温めてきた。

 今回、歓迎大会を五年ぶりに開いたのは、関係者が高齢化し「集まれるのは最後かもしれない」との考えから。台湾への思いが尽きることはなく「厳しい歴史の中で、八千四百人の子どもたちが懸命に働いた。日本人として申し訳ない思いで、わずかでも彼らに報いたい」と語った。 (曽田晋太郎)

◆私の履歴書

1934年 津久井郡中野町(現相模原市緑区)に生まれる

 43年 少年工の寄宿舎があった高座郡大和町に移る

 45年 国民学校5年生で終戦を迎える

 67年 大和市議に初当選。以後、7期28年務める

 92年 2度目の市議長に就任。元少年工と再会する

 93年 少年工来日50周年の歓迎大会を開催

2012年 高座日台交流の会会長に就任

 18年 少年工来日75周年の歓迎大会を開催。座間市に顕彰碑を建てる 

 

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