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【神奈川】

<かながわ平成ノート>(1)みなとみらい21 変貌した街で守る味

店の前で、「時代が変わってもこの味を守りたい」と語る(左から)京男さん、英淑さん、勇哉さん=横浜市西区で

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 タワーマンションや大型商業施設が立ち並ぶ、みなとみらい21地区の一角に、ひときわ低い三階建てのビルがある。そば店「香露庵(こうろあん)」。「昔とは、街並みも歩く人の雰囲気も全く変わった」。自宅を兼ねた建物で店を切り盛りする森川京男(けいなん)さん(64)と妻英淑(えいしゅく)さん(61)がしみじみと語る。

 昭和時代、同地区の多くは海。沿岸部に高度成長期を支えた三菱重工業横浜造船所が広がり、香露庵がある場所は、森川さんの両親が始めた大衆食堂だった。客は、造船所で働く人や資材を運んできたドライバーら。道路には駐車する大型トラックが連なっていた。

 一九八一(昭和五十六)年に結婚し店を手伝うようになった英淑さんは「若いお客さんは、義母を『お母さん』と呼んで慕った。毎日のように飲みに来てくれる人もいた」と懐かしむ。

 昭和の終わりに造船所が移転。海面を埋め立て、平成の始まりとともに開発が進んだ。当時日本一の高さを誇った横浜ランドマークタワーや、商業施設「クイーンズスクエア横浜」などが完成。造船ドックがあった海沿いは大観覧車も並び立つ、きらびやかな観光名所へと変貌を遂げた。

 バブル崩壊で開発が停滞した時期もあった。区画整理に伴い九四年に食堂閉店後、二〇〇二年に香露庵を開いた当時を、森川さん夫婦は「ポツンと一軒立っている状態。人けがなく、夜になると暴走族みたいな人たちが来た」と苦笑する。

 同地区は、横浜港開港後に最初に発展した関内地区と、戦後急成長した横浜駅周辺の間に位置する。市都心部のさらなる強化が開発の目的で、構想は昭和四十年代に生まれた。市職員として長年携わった元政策局長の浜野四郎さん(65)は「横浜の街づくりの伝統が詰まった場所」と話す。

 赤レンガ倉庫など歴史的な建造物を残す手法は明治、大正時代の建物を博物館などに利用した関内エリアで培われた。海辺を重んじる価値観は、関東大震災で出たがれきを埋め立て、市民らの憩いの場になった山下公園が原点という。

 香露庵の周りは今や、高層ビルやタワマンばかりになった。平日はスーツ姿のサラリーマン、週末は家族連れらでにぎわう。「時代が変わっても、今の味を守ってもらいたい」と、厨房(ちゅうぼう)で手伝う長男勇哉さん(34)に次代を託す森川さん夫婦は「いつまでも街が発展していってほしい」と願う。開港以来、先駆的で有り続けてきた横浜を象徴する街に、新たな歴史が刻まれていく。 (福田真悟)

 ◇ 

 平成が間もなく終わる。令和に向け、まちづくり、事件、自然災害など、さまざまな出来事や変化があった三十年余を振り返る。

<みなとみらい21地区> 就業人口19万人、居住者1万人を目指し、横浜市などが開発した。185ヘクタールの面積があり、造船所の跡地周辺の中心部では1993年にランドマークタワー、97年にクイーンズスクエア横浜が完成。2004年には地区内を通る地下鉄みなとみらい線が開業した。

中央の横浜ランドマークタワーなどを除き、ほとんど建物がない平成初期のみなとみらい21地区=1993年4月、本社ヘリ「あさづる」から

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