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【神奈川】

<かながわ平成ノート>(4)川崎市・ふれあい館 共生の経験、今後に生きる

トラヂの会で朝鮮伝統のプチェチュムを踊る人たち=川崎市川崎区で

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 「砂漠にオアシスができたように感じた」。親に連れられ一九四一年に四歳で来日した在日コリアン一世の曹在龍(チョウチェヨン)さん(82)=川崎市川崎区=は「ふれあい館」(同区桜本)の完成当時を懐かしそうに振り返った。

 在日外国人と日本人の交流施設を地方自治体が整備したのは全国初。平成が始まる約半年前の一九八八年六月に開館した。式典では、朝鮮伝統の太鼓チャンゴと和太鼓が共演した。

 曹さんらコリアンたちは戦後、昭和の時代に日本人から「朝鮮に帰れ」と言われたり、就職の内定を取り消されたり差別された。公的サービスの対象からも外れていた。差別解消を求める人たちの声を受けてふれあい館は完成した。

 同館を運営する社会福祉法人青丘社の事務局長で、七〇年代から在日外国人を支援する三浦知人さん(64)は「通名でなく本名を名乗ろうと呼び掛けても、不利益を恐れて拒否された」と明かす。開館は日本人と外国人の交流に自治体が「お墨付き」を与えたことに大きな意味があったという。

 平成の時代は、差別解消に向けた交流だけでなく、館を中心に地域の課題を解決しようと活動を広げた。高齢化した在日一世が学ぶ識字学級や、交流を深める「トラヂの会」、親が外国にルーツを持つ子どもたちの居場所づくり、朝鮮半島以外の外国人支援など…。三浦さんは「一歩一歩、満足しながら歩んできた。平成のほとんどは、世の中が良くなると感じていた」と語る。

 それが二〇一〇年代、市内でヘイトスピーチ(憎悪表現)が繰り返され「こんな世の中を次の世代に渡してはいけない」と一変した。地域の歴史や長年暮らす人たちのことを知らず、インターネットの呼び掛けで集まり、在日コリアンへの排外的な主張を声高に繰り返す。平成の終わりに新たな課題を突きつけられた。

 当初は「桜本にさえ来なければ大きな問題にはならない」と思っていたが、在日コリアンが集住する桜本は標的に。自戒の念を込め「これまでの取り組みは、箱庭のようなものだった」と振り返る。身の回りのことで手いっぱいで、社会に発信して共感を得ることまでは、できていなかった。

 改正入管難民法が四月に施行され、日本で生活する外国人も増えるとみられる。三浦さんの言葉に力がこもる。「共生のまち、と言うと歯が浮くようだけど、桜本では実践してきた。日本人と外国人が共生してきた経験は今後にこそ生きる。高齢者も障害者も幸せに生きている姿は、他の地域のモデルになるはずだ」 (大平樹)

<ふれあい館> 鉄筋コンクリート2階建て、延べ床面積630平方メートル。桜本こども文化センター(児童館)も兼ねる。在日コリアンに関する書籍や資料約1万点を収集しており、閲覧できる。開館から30年間で約135万人が利用している。

テープカットして、ふれあい館の開館を祝う当時の伊藤三郎市長(中央)ら(青丘社提供)

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