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【神奈川】

<かながわ平成ノート>(5)向ケ丘遊園が閉園 緑豊かな跡地 これからも

遊園の会の会員らが遊園への思いをつづった本を手にする松岡さん=多摩区東生田の自宅で

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 「びっくりしました。幼少のころから通い続けて親しんだ憩いの場所がなくなる。悲しくなった」。二〇〇一年九月、川崎市多摩区の松岡嘉代子さん(72)は、区内の遊園地「向ケ丘遊園」が、〇二年三月に閉園するとテレビのニュースで知って驚いた。

 向ケ丘遊園は小田急電鉄の直営。小田急小田原線の向ケ丘遊園駅から南東約一キロにあり、緑豊かな遊園地だった。駅と園をモノレールがつなぎ、一九七六年設置の観覧車は当時、日本一の高さ五十メートルを誇った。しかしその後、東京ディズニーランド(TDL)の台頭やレジャーの多様化を背景に、営業を終了することになる。

 「空き地になれば、マンションが建つ可能性もあった。緑豊かな場所がそうなってはいけない。黙って見過ごしたら、一生後悔すると思った」

 〇二年二月に「向ケ丘遊園の緑を守り、市民いこいの場を求める会」(遊園の会)を結成。会の事務局長となり、跡地保全のため署名を集めた。自家用車を走らせた距離は一年間で二十万キロ。六万筆近く集まり、市に届けた。

 市や小田急が、跡地の開発案を直ちに発表することはなかったという。「それが良かった。どんなに良い案でも反対意見は出る。発表されなかったことで行政、企業、市民が一緒に考える関係が構築された」。〇四年、市と小田急が跡地の緑を保全する基本合意を発表し、三者の連携は深まった。

 そうした流れにありながら、〇七年と一〇年にマンション建設の計画が発表された。「三者の関係が微妙になった」と松岡さん。ただ、小田急は一四年に計画を白紙にすると発表。東日本大震災の復興需要や東京五輪の開催決定で人件費が高騰したことなどを理由に挙げた。

 小田急は一八年、自然体験や温浴を楽しめる複合施設を跡地に整備する方針を示した。自然を生かしながら、新たなにぎわいを生み出そうとの計画で、二四年三月までに完成予定。紆余曲折(うよきょくせつ)を経て、この案に至ったことに松岡さんは満足そうな表情を見せる。

 遊園の会の会員は最大時に約八百人になった。平成の時代、緑を守ろうと奔走した松岡さんは、平成の終盤に一つの節目を迎えたが、「自然災害が起これば避難場所として利用される。地域で跡地を支えていくことがこれからも重要」と気を引き締めている。 (安田栄治)

<向ケ丘遊園> 小田原線(現・小田急小田原線)が開通した1927年、自然を生かした「花と緑の遊園地」として開園。入場者のピークは、86年度の約116万人。閉園後、園内の「ばら苑」は、市が引き継いだ。

2002年、跡地の有効利用を求めて生田緑地で署名活動をする遊園の会の会員ら=川崎市多摩区で(同会提供)

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