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【神奈川】

<つなぐ 戦後74年>「核廃絶へ世界の人たちと連帯を」 ヒロシマで救護や遺体処理 92歳伊達さん 悲惨な体験語る

原爆投下直後の広島の惨状を語る伊達さん=鎌倉市で

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 第二次世界大戦末期の一九四五年八月、原爆が投下された直後の広島で負傷者の救護や遺体処理に当たった伊達昭二さん(92)=鎌倉市=が十四日、同市川喜多映画記念館(雪ノ下二)で当時の悲惨な状況を振り返った。伊達さんは「世界中の国が核兵器禁止条約に署名し、核廃絶に向かって世界の人たちと連帯、協力して実行されることを願う一人です」と訴えた。 (北爪三記)

 同館で十八日まで開かれているテーマ上映「ヒロシマ・ナガサキ」の一環。「鎌倉市被爆者の会」会員の伊達さんは、広島市民ら約八万八千人が出演して原爆投下直後の惨状を再現した作品「ひろしま」(五三年)の上映を見た後、観客らに体験を語った。

 十八歳だった伊達さんは、現在の広島県竹原市にあった陸軍船舶部隊の特別幹部候補生の教育隊に所属。四五年八月六日の昼ごろ、上官から「広島市にピカドンという新型爆弾が落とされ、市内が壊滅状態だ」と伝えられ、翌七日、救援活動のため候補生五十人を連れて市中心部に入った。

 広島駅から駐屯地までの約二キロは、道端に死体がごろごろとあった。子どもの死体が多く、家々はつぶれていた。川岸は死体で埋め尽くされ「目を背けたくなる悲惨な状況」。生存者を救護所へ搬送し、その後は死体を安置所となった練兵場へと運んだ。

 三歳の男の子を亡くし、火葬に協力した二十代半ばの女性が、骨つぼ代わりの土瓶に遺骨を納めて去る時の後ろ姿は脳裏に焼きついている。駐屯地の隣の民家に住んでいた十八歳ぐらいの娘が「姉を外に呼んだばかりにやけどを負わせてしまった」と自らを責めていたのも忘れられない。

 「今なら『あなたが悪いんじゃない。戦争が悪い。戦争をしてはならないんです』と言える」と伊達さん。「被爆から七十四回目の夏が来た。核兵器を進めるような動きはやめてもらわなければ」とも述べ、核兵器廃絶と核兵器禁止条約を結ぶことを求める「ヒバクシャ国際署名」への協力も呼び掛けた。

 

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