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【神奈川】

広島の原爆体験、鮮明に 相模原の堀見さん あす座間で講演会

「戦争がいかに残酷か知ってほしい」と話す堀見さん=相模原市南区で

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 「戦争は絶対にしてはいけない。体験談を通じて若い世代に平和のバトンを引き継ぎたい」。強い信念で戦争体験を語り続ける女性がいる。相模原市南区の堀見智子さん(86)。目の当たりにした原爆投下直後の広島を伝えることで、「戦争がいかに無意味で残酷なものか知ってもらいたい」と願う。 (曽田晋太郎)

 堀見さんは父の転勤に伴い、小学四年だった一九四三年から広島市内で暮らした。戦争が激化した四五年三月、約三十キロ離れた県内の山間部へ一家五人で疎開。小学校の卒業式には出席できず「戦争が終わったら帰ってきんしゃい。待っててあげるけんね」と、級友に慰められたという。

 山あいにある県立高等女学校一年だった八月六日。教室にいると「ドーンという大きな音がして校舎が揺れた」。避難した防空壕(ごう)から出ると、市街地の方の空に黒い煙が上がり、どんどん大きくなっていった。

 翌日、学校には大勢の被爆者が運ばれていた。「痛い、痛い」という悲鳴の中、看病に当たった。爆心地から逃れてきた人たちが「食べ物をくれ」「助けてくれ」と、毎晩のように自宅に来た。「周囲は死体の山。生きていくのに必死で怖いと考える余裕もなかった」と振り返る。

 広島市内に勤めていた父は、通勤途中に原爆投下に直面。仲間の安否を確認しようと燃え盛る市内に入った。帰宅したのは八日後の十四日。姿はすっかり変わり果て「白髪だらけのおじいさんで、すぐに父とは分からなかった」。当時四十五歳だった父は、原爆症のため五十七歳で他界した。

 再会を誓った小学校の級友約四十人は皆、原爆の犠牲になった。「おいしいものを一度も食べることなく死んでいった。何も罪のない子どもたちが、なぜ犠牲にならなければいけなかったのか」。堀見さんは無念さをにじませる。

 ◇   ◇ 

 十七日午後二時二十分から座間市緑ケ丘一のサニープレイス座間で、堀見さんの講演会「親子で聞こう、原爆体験」が開かれる。入場料は一般百円(当日二百円)、高校生以下無料。問い合わせは実行委員会=電046(254)9538=へ。

 

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