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【暮らし】

<家族のこと話そう>両親の見守りに感謝 不登校経験の漫画家・棚園正一さん

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 小中学校の九年間、ほとんど学校には行きませんでした。きっかけは小学一年生の時に授業についていけず「分からない」と言ったら、先生にいきなりビンタをされたこと。学校が怖くなり、母に泣きながら「行きたくない」と訴えました。

 両親は無理に学校に行かせようとはせず、家で好きな漫画をまねて描くようになりました。時々学校に行ける日もあったけれど、僕は普通の子とは違う気がして、教室に居場所がないと感じました。登校しても、また行けなくなりました。勉強は学校の先生が家に来てくれたり、家庭教師が教えてくれたりしました。

 小学六年生の時には、不安やイライラが募って爆発。母の大切なコーヒーカップを壁に投げ付けたり、玄関の窓を手で割ったりしたこともありました。夜、勉強中に理解できない問題があり、寝ている両親を「分からない」と泣き叫びながら起こしたことも。「育て方を間違えた」と力なくつぶやいた父の姿をよく覚えています。

 専業主婦の母はずっと優しく見守ってくれていたけれど、僕が家で暴れるようになって限界を迎えたのでしょう。一カ月ほど家を出て、近くにある祖母の家で過ごしていた時期もありました。

 転機が訪れたのは、中学一年生の時。大好きな漫画「ドラゴンボール」の作者の鳥山明さんと母が同級生だった縁もあり、鳥山さんにお会いする機会がありました。鳥山さんに僕の漫画を見てもらったら、「自分の世界がある」とほめてくれて、自信がつきました。

 中学卒業後は、専門学校を経て大学に進学。アルバイトをしながら漫画を描き続けて賞も取り、三十歳ごろからやっと漫画家として食べていけるようになりました。僕の不登校経験を描いた漫画には、両親も登場します。

 僕は不登校の子どもや親に向けた講演会もしています。講演後、泣きながら「子どもを殺して自分も死にたい」と話してきた人もいました。追い詰められている親も多いけれど、「あせらなくて、大丈夫」と言ってあげたい。

 昨年、愛知県が悩みや困難を抱えている子どもに向けて作ったメッセージ集の表紙に僕の絵が使われ、僕のメッセージも掲載されました。両親はとても喜んでくれました。母は最近になって「不登校の経験が、誰かの役に立つようになったね」と僕に言ってくれるようになりました。人とは違う経験をしたからこそ、今の僕がいる。見守り続けてくれた両親には、感謝しかありません。

 聞き手・細川暁子/写真・佐藤哲紀

<たなぞの・しょういち> 1982年愛知県生まれ。名古屋芸術大在学中に集英社主催の「少年ジャンプ手塚賞」を受賞。2015年に出版された不登校経験を描いた作品「学校へ行けない僕と9人の先生」(双葉社)はフランス語にも翻訳された。小学館「ビッグコミックスペリオール」で「マジスター〜見崎先生の病院訪問授業〜」を不定期連載中。

 

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