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【暮らし】

<家族のこと話そう>父の介護が“宝物”に シンガー・ソングライター 辛島美登里さん

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 県職員の父、専業主婦の母、兄の四人家族で育ちました。父は頑固なくらい真面目で実直。口下手だけど筆まめでした。自身の単身赴任中や私の上京後など、ことあるごとに手紙をくれました。毎回、便箋二、三枚にきっちり書き、植物のスケッチや家族旅行の焼き増し写真を同封してくれました。

 父が心配性でコツコツと物事を進めていくのに対し、母は旧満州(中国東北部)の引き揚げ者で、大陸的なのか、「何とかなるわ」というおおらかな人でした。

 父に認知症の症状が出たのは七十五歳を過ぎたころ、今から二十年以上前です。きちっとした人だったので、できないことがどんどん増えていく父の姿を、家族が受け入れるのは大変でした。認知症への理解も今ほどはなく、私も父の病を誰かに言うのは勇気が必要でしたし、母も「年のせいだから」と絶対に認めようとしませんでした。

 それでも症状は進むため、母は父の病を受け止め、一生懸命サポートしようと介護を頑張りました。数年後、父は八十一歳で肺炎で亡くなりました。

 私は、真面目と正直を積み重ねてきた父の最期に、心の整理がしばらくつきませんでした。認知症をもっと知っていたら、もっと適切な対応ができたのに、もっと笑顔の多い介護ができたのにと、ふがいなさも残りました。

 一方、父の死を境に、年配の方に親近感を抱くようになりました。危なっかしそうに歩く人を見ると、「大丈夫かしら」と、自然に体が動くことに驚きました。その人の姿に父を重ね合わせたからと思います。亡くなっても、人はいろんな意味で生き続けるのだと教えてくれました。

 振り返ると、態度で表現するのが苦手な父とは、子ども時代も手をつないだ記憶すらありませんでした。父が認知症になり、私が肩を貸したり、父の顔を洗ったりと、父に触れるようになりました。父娘のスキンシップの記憶は介護の時から始まったのです。

 それがなければ、父のひげもあごの形も知らないまま、お別れしたでしょう。今ではその記憶が宝物です。介護を通して、病気や老いと向き合う、凝縮された時間をもらったのかもしれません。

 母は父の死後、二年ほどふさぎ込みましたが、八十八歳の今も元気です。東京で開かれる私のコンサートにも、自分でチケットを取って鹿児島から飛行機に乗り、毎年来てくれます。おしゃれな人で、「何着て行こう」「去年と同じものでは恥ずかしい」なんて言っていますね。これからも、父の分まで、できるだけ元気でいてほしいです。

 聞き手・砂本紅年/写真・五十嵐文人

<からしま・みどり> 1961年、鹿児島市生まれ。作曲家として多くの歌手に楽曲を提供。90年、「サイレント・イヴ」が大ヒット。今年2月、デビュー30周年記念のベストアルバム「カーネーション」を発売。4月に記念コンサートを開く。7日の名古屋市中区の日本特殊陶業市民会館と、20日の東京都中央区の日本橋三井ホールの公演を販売中。詳細は本人のホームページで。

 

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