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【暮らし】

<家族のこと話そう>つながっていた父と母 女優・有森也実さん

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 旅行会社に勤めていた父と専業主婦の母、弟の四人家族で育ちました。父親が圧倒的に強い家庭で、三つ年下の母は、黙って父についていくような人でした。育った横浜では、毎週のように家族でサンドイッチを持って海の見える公園に遊びに行きました。

 母は芸能や舞踊に興味がある華やかな人。ミスコンで入賞して芸能界デビュー一歩手前までいったのですが、婚約中の父が猛烈に反対し、芸能界へのあこがれを胸に秘めたまま結婚したそうです。

 私は引っ込み思案で、地味な女の子でした。小学生の頃は、鼻ペチャで体形もぽっちゃり。そんな私でしたが、父と母はずっと「かわいい、かわいい」と言って育ててくれました。感謝しています。

 中学三年の夏に雑誌でモデルデビューが決まったとき、父は「今でなくてもいいのでは」と言ってましたが、母は「やってごらんなさい」と背中を押してくれました。

 父は、私が高校生の時に家を出ました。宮司をしていた祖父の後を継ぐため、長男だった父が単身、故郷の佐賀に戻ったんです。「家族は一つの食卓を囲むものだ」という家族像にこだわっていた私は、離れ離れになる現実を理解するのに苦しみました。

 当時の私には、両親の別居が仲たがいなのかどうかも分かりませんでした。仲を取り持とうと、二人を説得しました。家族の形についてどう考えているのか問いただし、「中途半端な形で離れ離れに暮らすのなら、いっそ戸籍上も離れ離れになってしまえ」と言ったこともあります。

 父は佐賀で宮司として、母は東京で芸能活動をする私を支えて。二人ともそれぞれの場所での生活に手いっぱいだったんでしょう。

 二〇〇六年に母に胃がんが見つかりました。既に末期で、しばらくは母と父、弟に知らせず、一人で母を支えました。末期と言われたものの、驚くほどの生命力で九年間闘病した母を、最期は在宅でみとりました。

 母の死後、遺品を整理していたら、父と母が結婚前に交わしていたラブレターがいっぱい出てきたんです。それはそれはすてきなラブレターだったの。相手を思う気持ちが痛いほど伝わってきて。父は照れていました。母の二年後に父も肺がんで亡くなりましたが、二人のラブレターは今も大事にとってあります。

 家族が離れ離れでいるのがつらかった時期もあったけれど、今は、あれが父と母、二人のスタイルだったのかな、と思います。こういう夫婦もあるんだな、離れてもつながっていた二人に、私、巻き込まれちゃったんだな、って。

 聞き手・今川綾音/写真・高嶋ちぐさ

<ありもり・なりみ> 1967年、横浜市生まれ。中学3年、モデルで芸能界デビュー。91年のドラマ「東京ラブストーリー」で注目される。2017年に映画「いぬむこいり」で主演。6月3日から東京都渋谷区の紀伊国屋サザンシアターで、こまつ座公演「化粧二題」に内野聖陽さんとダブル主演する。

 

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