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【暮らし】

<家族のこと話そう>あるがまま、祖父譲り 落語家・柳家花緑さん

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 小学一年生から、離婚して実家に戻った母、祖父(五代目柳家小さんさん)、兄、僕の四人で暮らしました。祖父は父代わりであり、落語を始めてからは師匠。芸も生き方も学びました。

 二年前、僕は学習障害(LD)を公表しました。発達障害の一つで、知的に遅れはないけれど読み書きが苦手。今でも読み書きできない漢字が多いです。中学の「1」が並ぶ通知表を六年前にテレビ番組で公開すると、視聴者から事務所に「息子と同じ障害です」というメールが届きました。それがきっかけで、専門機関で検査を受けました。

 僕は一年生からテストで零点をとりました。授業中はしゃべってばかりで、先生にも母にも怒られました。

 バレエを習っていた母は、息子たちをダンサーか落語家にしようと考え、兄はダンサーに。僕は赤ちゃんのころから師匠にそっくりだったこともあり、本名の「九(きゅう)」にちなんで九歳から高座に上がりました。お客さんは笑ってくれて、うれしかった。中学入学前に部活をやるか、落語家をめざすか、母から決めるよう言われ、落語家になると決めました。

 二十代のころは師匠の孫であることがプレッシャーでした。母にいろいろと制止されることもあり、失敗してもやりたいことをやってみたいと、一人暮らしをしました。母は反対しましたが最後は受け入れてくれ、離れることで、恵まれていたと感謝が生まれました。

 祖父の座右の銘は「万事素直」。母も、息子二人に「素直でなければいけない」と言いました。母は祖父とけんかしても、自分が間違えたと思うと翌朝土下座して謝っていました。僕が短時間で自分の障害を受け入れられたのは、素直さなのかもしれません。努力が足らないのではなかったと、気持ちが楽になりました。人の意見を素直に聞き入れることで、楽になれたと思います。

 祖父は芸人らしさより自分らしさを取った人で、家でも外でも態度が変わりませんでした。脳梗塞で体にまひが残っても、亡くなる三カ月前まで、自分をさらけ出して高座を務めました。僕が障害を公表したことは、祖父のように、あるがままを受け入れて生きていきたいという宣言です。何を言うかより生き様が大事です。公表して、ようやく自分の言葉で話ができるようになったと感じます。

 身内の障害を受け入れるのは大変だと思いますが、妻は公表することを「いいと思う」と味方してくれました。母も僕の漢字の間違いを笑い話にした高座での大爆笑を聞き、受け入れてくれています。家族には感謝しかありません。

 聞き手・吉田瑠里/写真・高嶋ちぐさ

<やなぎや・かろく> 1971年8月、東京都生まれ。本名は小林九。中学卒業後、祖父で人間国宝の五代目柳家小さんに入門。94年、戦後最年少の22歳で真打ち昇進。俳優としても活躍。2017年出版の自著「花緑の幸せ入門」(竹書房)で学習障害を公表した。

 

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