東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 暮らし > 暮らし一覧 > 6月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【暮らし】

地元神社を再び憩いの場に 名古屋、移転きっかけにシニアが団結

独学で彫った黒龍の像を前に、「手作りの神社を盛り上げたい」と語る小田良巳さん(中)。地元住民らも応援する=名古屋市西区で

写真

 人の足が遠のいた地域の神社を憩いの場に−。道路工事で場所が替わるのをきっかけに、名古屋市西区の小さな神社を再び地域の寄り合い拠点にしようと、周辺住民たちが取り組み始めた。世話人の男性が神社のシンボルにと独力で龍の像を彫ったり、新たに世話人に加わった男性がさい銭箱を手作りしたり。全国的に町の神社の存在感が薄らぐ中、住民たちが力を合わせて神社作りを進めている。 (細川暁子)

 「建て替えで新しく生まれ変わるのを機に、神社を人が集まる場所にしたい」。名古屋市西区の庄内川のほとりにある「黒龍神社」で、世話人を務める小田良巳さん(75)は話す。

 神社が建てられたのは一九五三年。地元住民らが奉賛金を出し合って国有地に建てた。常駐の神職はおらず、小田さんの祖母が世話人になった。地域の多くの人が参加して神社の例祭が開かれるなど、地域の人が集まる場の一つだったが、近所づきあいが減り地域活動が縮小するのに伴って、神社に足を運ぶ人も減っていった。

 小田さんは、会社員や警備員などとして六十四歳まで働き、現役時代は神社には月に一度顔を出す程度だった。四十七年前、祖母が亡くなってから世話人を継いだものの、ほとんど神社には関わってこなかった。

 約十年前、川の堤防道路の改修工事のため、神社は約五十メートル離れた場所に移転することが決まった。小田さんは、建て替えの準備を全て一人でこなすことは無理と感じ、近所の工藤恵子さん(71)らに相談。工藤さんが他の住民らにも声を掛け、世話人は今では地域外に転居した人も含めて十二人に増えた。

 地域でもひっそりとした存在となっていた神社に、再び人が戻ってくる手応えを得た小田さんは、新たに神社のシンボルをと、ヒノキの板を彫り始めた。木彫りの経験はなかったが、独学で神社の名にちなんで大きな黒龍がとぐろを巻いた幅約二メートル、高さ約一メートルの像を六年がかりで完成させた。

 神社では、以前は木製のさい銭箱を使っていたが、盗難被害もあった。そこで、数年前に世話人になった富井幸三さん(70)に相談。鉄鋼会社で働いていた富井さんが、鍵付きの鉄製のさい銭箱を手作りし、さらに線香立ても作った。

 新しい神社は十月に遷座し、龍の像も社に安置される予定だ。社務所では書道教室なども開き、地元だけでなく広く開放する予定という。

 高齢化や人口減が進み、全国的に存続が難しくなった神社は少なくない。国学院大神道文化学部の藤本頼生准教授(44)によると、神社本庁の傘下には約七万九千社があるが、ここ十年で約三百社がなくなった。

 宮司も約六十年で二千二百人減り、一人で百もの神社の祭事を担っている宮司もいるという。地元住民の氏子が減って後継者や奉賛金が集まらないなどで、自治体の文化財に指定された祭りが長年、開かれていない例もある。

 そんな中、神社を守る取り組みが地元に広がるのは珍しい。世話人の一人、東構千晴さん(52)は、「小田さんらとは神社を通じて出会い、縁が広がった。この地域は一人暮らしのお年寄りも多い。神社を通じて、シニア世代と若い世代がつながるお手伝いを私もしたい」と話す。

 小田さんは「神社に愛着を持つ人が自然に増えていけば、みんなで神社を守っていくことができると思う。ネットを活用して情報を広めるのがうまい若い人にも神社に来てもらったりして、次の世代につなげていきたい」と話す。

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報