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【暮らし】

<研究者目指したけれど…大学非常勤講師らの嘆き> (上)休めない 綱渡りの出産

子ども2人を大学の春休みに合わせて出産した非常勤講師の女性(右)=東海地方で

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 「長女も長男も計画的に妊娠した。講義がない春休み期間にかけて生まれるよう計算しました」。一月に長男を出産した四十代女性は打ち明ける。女性は東海地方の私立大二校で人文系の非常勤講師を務める。そうまでしても、大学での仕事は失いたくなかった。

 女性が大学院に入ったのは二〇〇二年。奨学金約六百万円を借りて博士課程まで進んだ。業績を残そうと、年に一〜二本、論文を書いては学会で発表を続けた。九年後、無事に博士号を取得。だが、それからずっと、非常勤講師のままだ。

 「大学で教えている」といえば聞こえはいいが、要はパート。大学専任の教員と違い、研究費はおろか健康保険や厚生年金の保障もない。契約は一年単位だ。

 女性の収入は月に十五万円ほど。週に三日しか仕事がないため、長男は認可保育園に入れられず、月四万円を払って無認可の託児所に預けている。「何のために働いているのか、分からなくなる」と苦笑いする。

 結婚後は、夫の稼ぎがあれば食べてはいけた。しかし、仕事はやめなかった。もともと研究者を志したのは「性の違いで生じる不利益など社会の構造的な問題を変えたい」と思ったからだ。周囲の女性研究者は独身が多かった。学問の世界でも、一般企業と同じように、キャリアか、それとも家庭かを迫られる女性特有の境遇を、率先して変えようと決意していた。

 「一年契約の任期途中で休むと、大学に迷惑がかかる」と、第一子の長女は一六年一月に出産。大学が春休みに入って講義がない二〜三月は育児に専念し、次年度の四月から再び講義を受け持った。長男も、長女の時と同様、春休みをめがけて出産する計画だった。しかし、予期せぬことが起きた。切迫早産で、予定より四カ月早く、十月から仕事を休むよう言われたのだ。

 担当教授は「穴があいてしまう」と頭を抱えた。思わず「代わりが見つかるまで、講義を続けます」と言ってしまい、十一月上旬まで働いた。結局、契約は十一月限りで終了。運良く本年度も、二つの大学と契約を結べたものの、不安定な立場に変わりはない。

 文部科学省によると、全国の十八歳人口は、ピークだった一九九二年の二百五万人から、二〇一七年には百二十万人に激減。つぶれる大学も出始めるなど、専任教員の間口は狭まっている。加えて、研究者の世界は男性中心だ。一八年度の大学院博士課程の在学者七万四千三百六十七人の三割は女性。しかし、大学の専任教員に占める女性の割合は二割にとどまる。

 大学院時代の仲間には、研究者に見切りをつけ企業に移った人、行方が分からない人も。悔しいのは、博士号も持っていない女性が、顔が広い指導教官に気に入られてポストを獲得したことだ。「研究者も結局、コネが大事なのかと」

 大学院時代、同居していた母親が脳梗塞で倒れた。トイレの介助や食事の用意…。介護に追われながら、ようやく取った博士号。「いつか専任教員になれる」と信じて、頑張ってきた。でも、今は半分あきらめている。「転職をしてでも、正規の仕事に就きたい」

 ◇ 

 末は博士か大臣か−。かつては子どもの将来を楽しみにして使われた言葉だ。しかし、今、研究者を目指し、大学院で博士号まで取った高学歴の人たちが苦境にあえいでいる。正規の職に就けず何年も非常勤講師の地位に甘んじていたり、雇い止めの恐怖にさらされていたり…。不安定な立場から抜け出せない彼らの窮状を二回に分けて見る。 (細川暁子)

 =次回は十五日

 

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