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【暮らし】

<家族のこと話そう>田んぼで私の歌流す父 演歌歌手・岩本公水さん

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 実家は秋田県の田んぼと山に囲まれた、「あきたこまち」を作るコメ農家です。農作業をよく手伝いました。今も田植え、稲刈りなどには駆けつけています。

 歌の世界に導いてくれたのは父です。父は歌手になりたかったそうです。三姉妹の真ん中で、熱心に取り組んだ私に夢を託したのでしょう。父と一緒に歌って育ち、「歌手になりたい」と思っていました。父は冬場は出稼ぎに出て、母は子育てしながら、夫の留守を守ってきました。頑張ってきた母の姿を見ながら育ったのです。

 高校卒業後、東京都内で就職。会社の仲間とカラオケバーで歌っていたら、店に偶然いた音楽関係者から「歌手にならないか」とスカウトされ、二十歳前にデビュー。三年目にNHKの紅白歌合戦に出ました。父母は「夢がかなった」と喜びました。

 東京ってチャンスが転がっているんだなあ、と思いました。でも、落とし穴が。

 デビュー十年目のある日突然、声が出なくなりました。大学病院で検査しても原因不明。話すことはできても、歌うと声はガッサガサ。苦しくて歌えない。引退する覚悟で実家に帰ることにしました。

 年の暮れの近く。新幹線の車窓から雪景色を見ながら、「両親は何と言うだろうか」と不安で。夢破れた女が一人…まるで歌の文句ですね。

 実家に戻ると、母は「よく頑張った。よく帰ってきた。また新しいことを始めましょう」と温かく迎えてくれ、救われた思いがしました。ただ父はがっかりしていました。

 年が明けて間もなく、父が脳梗塞で倒れました。私のせい。心配をかけたから。「父を介護して故郷で生きていこう」と、介護の資格を取れる学校に通って、当時のホームヘルパー2級と障害者ホームヘルパーを取り、介護しました。幸い症状は軽く、後遺症は残りませんでした。

 昔のように田んぼを手伝いながら父母と過ごしました。新米で作ったきりたんぽ、山菜もたっぷり、キノコ汁のだしは父が育てた比内地鶏…。そんな生活でした。不思議なものです。実家に戻ってすぐ声が戻り、歌えるようになりました。ストレスが原因だったのでしょう。

 ある日、レコード会社から突然、「歌えるのなら戻って来ないか」と電話が。神様っているんですね。苦労した芸能界にもう一回戻ろうと決めました。父は手をたたいて「万歳」と叫びました。結局、二年半を休みました。

 父はリハビリ後、農作業に戻れました。七十五歳の今も田畑に出ています。軽トラックにスピーカーを取り付け、私の歌を流しながら、農作業をしているそうです。父らしいと思います。

 聞き手・草間俊介/写真・芹沢純生

<いわもと・くみ> 1975年6月、秋田県羽後(うご)町生まれ。95年に「雪花火」でデビュー。今年5月、デビュー25周年記念のアルバム「うたこまち」を発売。8月に新曲「能取岬(のとろみさき)」を出す予定。故郷の羽後町の観光宣伝大使を務める。今でも実家の農作業を手伝い、自分で育てた米「公水こまち」をお世話になった人に配っている。

 

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