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【暮らし】

<「親亡き後」の前に 苦悩する障害者の家族> (上)老いへの不安 娘の介助、体続くまで

長女の海さん(右)を入所する施設へ送る児玉真美さん(中)と夫の宏二さん=広島県内で

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 「いち、にの、さん」。広島県呉市に住む日本ケアラー連盟代表理事、児玉真美さん(62)と、夫の宏二さん(63)が声を合わせる。布団に横たわるのは一人娘の海さん(31)。真美さんが足、宏二さんが肩や背中を持って、車いすに移した。

 海さんは体重三〇キロ。脳性まひで体の軸が安定しないため、抱き上げるのは大変だ。夫婦は二人とも腰にサポーターを巻く。「一回抱えると股関節が痛くて。薬と湿布で耐えている」と、真美さんは苦笑する。

 海さんは仮死状態で生まれ、何度も命の危険があった。そのため、真美さんは勤めていた大学を辞め、フリーライターとして働きながら寄り添ってきた。

 寝たきりで生活のほぼ全てに介助がいる海さんは、六歳から県の重症心身障害者施設で暮らす。会話はできないが、表情や声色を駆使し、両親や施設の職員らと意思疎通する。一時帰宅したこの日も、お気に入りのDVDを指さし、「見たい」と言うように「んーんーんー」と声を出したり、「これ食べる?」と聞かれて「ハッ」と答えてイエスの意図を伝えたりした。

 加齢に伴い、夫婦が娘にしてあげられることは減ってきた。一時帰宅の頻度は、毎週末から月二、三回に。テラスを改装した浴室に置いた大きな浴槽に親子三人でつかるのが楽しみだったが、それも昨年秋にあきらめた。「サポーターを着けない入浴の時に体を痛めたら、施設から連れて帰れない」と真美さんは言う。

 海さんの帰宅中、夫婦は何でも協力して動く。例えば食事。宏二さんが魚をすりつぶし、真美さんが海さんの口に運ぶ。おいしそうに笑う海さん。週が明けると、車いすごと海さんを自家用車に乗せ、施設へ向かう。運転するのは宏二さん。三十分ほどの道のりだ。

 年を取って運転できなくなる日を見据え、夫婦は来年五月をめどに、施設から徒歩二分の場所に、小さな家を建てる。「老後の資金はぎりぎり残しているが、大きな決断だった」と真美さん。そこなら、足腰が不自由になっても会いに行けるし、短い時間であれば連れて帰れるからだ。

 こういう話をすると、福祉の関係者でも「親離れ子離れができていない」と笑う人がいる。「でも『ある日突然、子どもに会えなくなったら? 一緒に過ごす時間がなくなったら?』と考えてほしい」と真美さんは言う。通常なら、時の流れとともに、親と子の立場は逆転する。障害者の親は違う。意思疎通一つとっても、海さんを理解しようとする職員がいるうちはいいが、異動もある。心配は尽きず「普通の親のように老いることができない」。

 障害者本人を支える障害福祉サービス、体が動かなくなるなどした高齢者本人のための介護保険制度は内容も多様だ。しかし、障害者と、彼らを見守る高齢の親の縁をつなぐためのサービスはない。施設で暮らす子どもに会いに行くための足でさえ、親の自助努力に頼っているのが現状だ。

 障害者の生活と権利を守る全国連絡協議会(東京)が二〇一五年、在宅で障害者を介助する家族二千六百四十人を対象に行った調査によると、主たる介護者は六十代が23%と最多。「体力がなくなった」「よく肩がこる、痛い」と答えた人はそれぞれ約五割に上った。

 最近、「親亡き後」がよく議論の的になる。しかし真美さんは言う。「親たちは、死ぬまでの時間も、老いながら、病みながら、そして子どもを案じながら生きていかないといけない」

 ◇ 

 障害のある子を持つ親にとって、自分が年を取って体が動かなくなったり、亡くなったりしたときへの不安は切実だ。誰が子どもを見守ってくれるのか、誰が子どもの人生に最低限の生活以上の彩りを与えてくれるのか。親亡き後、さらにそこに至るまでの親の苦悩を考える。 (出口有紀)

 

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