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【暮らし】

<つなぐ 戦後74年>認知症の人が心を開く 記憶たどり 堂々と語り部に

施設の利用者と戦争体験を語り合う浅野信子さん(右)=浜松市北区で

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 認知症の人は「話が通じない」などと遠ざけられ、周囲から孤立してしまう例が少なくない。しかし、遠い日の記憶は頭に深く刻み込まれていて、きっかけさえあれば言葉となってほとばしる。

 浜松市北区のデイサービス施設「げんきプロジェクト根洗荘」の一角。「両親がいない時に空襲警報が鳴って、姉や妹たちと、焼夷(しょうい)弾が飛び交う中を逃げました」。パート職員の加藤はるさん(80)らに、時折、涙を浮かべながら話すのは、施設利用者の浅野信子さん(83)だ。九歳だった浅野さんは一九四五年七月九日、当時住んでいた岐阜市で米軍爆撃機B29による空襲に遭った。いわゆる岐阜空襲だ。死者は八百人以上。「布団で頭を覆いながら長良川に逃げ込んだの」「家族は無事だったけど、家は焼けて町中死体だらけ。それを一つずつひっくり返し、顔をのぞき込んでいる人がいた。家族を捜していたんでしょうね」。語られる記憶は驚くほど鮮明だ。

 浅野さんは五年前から認知症を患う。「ここはどこ?」と、自分がどこにいるのかさえ分からなくなることも。病気になる前は、家族にも戦争の話はしなかった。「誰も恐ろしい戦争の話なんか聞きたくないだろうと。話してはいけないと思っていた」。しかし、年の近い加藤さんに頼まれたことを機に、重い口を開き始めた。加藤さんは、戦争を知っている利用者が次々に亡くなっていくことに危機感を抱き、施設での聞き取りを続けていた。

 昨年十一月、「体験を語ってほしい」と地元の小学校に招かれた時のことだ。職員の中には「子どもの前で恥をかいてしまうのではないか」と、認知症が進む浅野さんを心配する声もあった。だが、見事だった。涙で声を詰まらせながら、自分が見たこと、感じたことを話し、「戦争は絶対にしてはいけません」と締めくくった。

 立ち会った娘の千恵さん(53)も驚いた。「施設での聞き取りがなければ、母は戦争の記憶を心の中に閉じ込めたままだった」としみじみ。「今は忘れっぽくなって、できないことも増えた。でも、大変な思いをしながら生きてきたと知り、あらためて『母はすごい』と思った」と誇らしげだ。

 認知症に詳しい渡辺医院(群馬県高崎市)の院長で精神科医の渡辺俊之さん(60)は、施設でのこうした取り組みを高く評価する。渡辺さんによると、認知症の人は新しいことは覚えられないが、昔の思い出は長く保たれている場合が多い。認知症によってかたくなだった心の鍵が外れ、戦争をはじめ、それまで話したがらなかった記憶を伝えようとする人もいるという。

 話したり聞いたりすることは脳を活性化させ、認知症の進行を遅らせることにつながる。特に、普段接する機会が少ない子どもたちとの触れ合いは、予期しない質問が飛び出すなどして、脳に刺激を与えるのに効果的だ。「もしかして、小学生のころ、空襲に遭ったんじゃない?」など、史実と照らし合わせてヒントを出しながら話を聞くと記憶をたどりやすいという。

 一口に「戦争」といっても、体験した内容は一人一人違う。渡辺さんは、患者の人生や人となりを深く知るため、診察でも戦争中のことを聞くという。「認知症になると周囲は子ども扱いしがち。でも、じっくり話を聞けば、この人も、あの人も戦後の復興を支えた一人なんだと見る目が変わる」と指摘。「自分に興味を持ってくれている」ということが伝われば本人もうれしい。「終戦記念日には、ぜひお年寄りに戦争について聞いてみてほしい」

 

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