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【暮らし】

<つなぐ 戦後74年>語ることが生きる力に 戦争体験 介護施設で聞き取り

介護施設の職員が作った紙芝居を手に、旧満州での戦争体験を語る菊池良三さん=静岡県西伊豆町で

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 明日十五日は七十四回目の終戦記念日。戦争を語れる人が年々減る中、介護施設の職員が利用者から体験を聞き、記録に残す試みが広がっている。聞き取った内容は紙芝居にして小学校で披露されるなど、若い世代に戦争体験を引き継ぐ役割を担う。一方で、昔を思い出すことは脳を刺激する効果もあり、専門家も注目している。 (細川暁子)

 「一家のうち生き残ったのは良三さんと妹さんの二人だけでした」

 静岡県西伊豆町のデイサービス施設「みんなの家」。今月上旬、職員が手作りの紙芝居「満州の悲劇」を、十人ほどのお年寄りの前で披露した。ストーリーは利用者の一人、菊池良三さん(89)が中国東北部、旧満州で体験した実話だ。上演後、一緒に紙芝居を見ていた菊池さんが「まだ死ねない」とつぶやいた。「何があっても生きて、亡くなった人の無念を伝えたい」

 十コマからなる紙芝居は、職員の奥田真美さん(55)が本人に聞き取った内容をもとにしている。戦争について語ることは、ほとんどなかったという菊池さん。「何も知らない若い人に言ったところで分からないと思っていた」と話す。

 奥田さんによる聞き取りは、自宅に出向くなどして二年がかり。戦後、林業で身を立てるようになった話などを丁寧に聞き、信頼を得ていった。菊池さんの気持ちが大きく動いたのは九年前、奥田さんが満蒙(まんもう)開拓団に関する証言を集めた映画の上映会を開いた時だ。

 満蒙開拓団とは、国策で旧満州に送り込まれた入植者のこと。上映後、菊池さんは「自分も開拓団の一員だった」と語り始めた。「誰かの役に立つなら、語ることが務めと思うようになった」と菊池さんは言う。奥田さんが描いた絵に、利用者らが色を塗り、約一カ月をかけて完成させた。

 菊池さんは岐阜県下呂市出身。十二歳だった一九四一年、開拓団の一員として、両親、きょうだい六人の計八人で旧満州の琿春(こんしゅん)へ。当初は農作業をしていたが、戦争の激化に伴い、開拓青少年義勇軍に参加。銃を手に旧ソ連との国境付近を警備した。

 四五年八月九日、旧ソ連軍が侵攻すると、一家は約百二十キロを歩いて逃げた。目にした光景は「地獄」だった。逃げ切れないと悟って泣く泣く赤ちゃんを置き去りにする母親、敵に乱暴されることを恐れ、川に飛び込んで自殺した女性…。結局、一家は収容所に送られ、紙芝居の通り、家族はたった二人に。両親ときょうだい四人は飢えや感染症で亡くなった。

 「収容所で亡くなった人の死体が無造作に捨てられています。亡きがらを土に埋めるための力なんて、もう誰にも残っていなかったのです」。紙芝居は、こうした過酷な状況を、認知症や視力の衰えたお年寄り、小さな子でも認識しやすいよう、素朴なタッチで、色鮮やかに描きだしている。

 奥田さんが紙芝居を作り始めたのは二〇〇五年。利用者一人一人の人生を記録に残すためだ。約八十作を制作し、戦争に的を絞った内容は十作に上る。「自分ではどうにもできない状況をどう生き抜いたか。そこには、その人自身が色濃くにじむ」と説明する。紙芝居は、職員の利用者への意識を変えた。石田つかささん(51)は「戦前戦後の日本やその人について知りたい思いが強まった。仕事の枠を超え、積極的に話し掛けるようになった」と言う。

 紙芝居は職員や利用者に加え、約十年前からは地元の四つの小学校でも披露している。今年六月に紙芝居を見た賀茂小の浦田洋子教諭(64)によると「感想文の中には『自分のおじいちゃんやおばあちゃんに、戦争について聞いてみようと思った』などの声があった」と言う。奥田さんは「子どもの前で話すことは、高齢者にとって、人の役に立っていると実感できる瞬間。生きる気力につながる」。

 

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