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【暮らし】

<家族のこと話そう>妹を思い偏見と闘う 記録映画監督・今井友樹さん

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 映画監督になりたいと思ったのは、小学校高学年の時。大工の父(65)がアクションやヒーロー映画に夢中で、「映画って何?」と。同じ俳優でも、作品ごとにがらりと印象が変わることが不思議で、理由を尋ねると父は「監督の演出」と教えてくれました。

 監督の夢に向け、家から遠く離れた高校に下宿して通いました。初めて親元を離れ、また父の後を継ぎたい気持ちもあり、迷いました。勉強して成績上位を目指す環境にもなじめず、入学後すぐ「高校を辞め、大工になる」と朝、父の仕事場へ。雨の中、傘も差さずに三時間歩き、木材をカンナでひいていた父を見ると涙があふれました。差し出されたタオルには木と父のにおいが混ざっていました。

 母(65)が作った父の弁当を食べると「学校を辞めたい。大工をしたい」としか言えず、実家で祖父母の布団をかぶり、また泣きそうに。多感なときに家族の温かさに助けられ、心を乱されもしました。

 記録映画の道を選んだきっかけは、祖父母。高校卒業後に進んだ日本映画学校の実習で学生仲間とともに、写真と録音だけで祖父母の戦争体験をテーマに作品をつくりました。祖父母はそれぞれ当時の国策で、旧満州(中国東北部)に渡り結婚。戦後八年間抑留されました。二人の話にじっくり耳を傾け、知らなかった「一人の人間」としての祖父母の人生が浮かびました。足元に目を向けられていなかったことに気づき、記録映画で人間を追究したいと思いました。

 私の作品にも、家族が影響しているものがあります。初の劇場公開映画「鳥の道を越えて」は、「空が真っ黒になるぐらいの鳥の群れが来て、捕って食べていた」という祖父の話が元。今は禁じられている地元のかすみ網猟の歴史、人と自然の関わりを八年かけ追いました。

 昨年公開した「夜明け前 呉秀三と無名の精神障害者の100年」もそう。精神障害者を自宅に閉じ込める「私宅監置」制度に異を唱えた、明治時代の精神科医を取り上げました。制度は一九五〇年に廃止されましたが、製作依頼を受けたとき、思い浮かんだのは、中学のころに脳の病気「てんかん」を発症した妹(35)。制度があった当時は、発作を起こす患者も閉じ込められていたようです。本人や家族の苦悩を社会問題としてとらえ、病気や障害への偏見を克服できる映画にと。

 出演者が「(障害者に)われわれは見えないおりと壁を持っていて、差別や偏見に発展する芽は持っている」と話すのを聞いた時、自分もそうだと思いました。自死した前妻が統合失調症だと言えませんでしたから。ぼくの中にある偏見にも気付かせてもらった映画です。

 聞き手・出口有紀/写真・橋場翔一

<いまい・ともき> 1979年岐阜県東白川村生まれ。日本映画学校(現日本映画大学、川崎市)を卒業後、民族文化映像研究所(東京)で記録映画の製作などに携わる。2010年に独立し、14年、故郷のかすみ網猟をテーマにした「鳥の道を越えて」を発表。同年度の文化庁映画賞の文化記録映画優秀賞を受けた。来年、東白川村でのツチノコ騒動などをテーマにした記録映画を公開予定。

 

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