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【暮らし】

<あきらめない 失語症になった営業マン>(下)笑顔の授業 伝える使命を胸に前へ

言語聴覚士などを目指す学生らに、自らの経験を語る池田さん(右から2人目)=名古屋市中村区の東海医療科学専門学校で

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 わずか二行のメールを打つのに、三十分。でも、一年前に比べれば、時間は半分になった。

 脳梗塞の後遺症で失語症になった東京海上日動火災保険の池田博之さん(50)が、同僚と毎日交わす「二行メール」。次長を務める東海・北陸業務支援部の社員たちが交代で送り、池田さんが返信する。

 「読む」「書く」「聞く」「話す」の全てが不自由な池田さんのリハビリの助けになればと、二〇一八年五月から始まった。発症前は優秀な営業マンだった池田さんが職場に復帰して三カ月が過ぎたころだ。メールの内容は仕事や家庭のことなど何でもいい。

 「私は、学習教材をきちんとやらない不真面目(ふまじめ)な子供でした。小学校(しょうがっこう)の時は、田んぼで泥(どろ)まみれになったり、いろんな遊びをやりました。。」(ママ)

 子育て真っ最中の社員が学習教材について書いてきたメールへの返信だ。ルビを振るのは漢字の読みを忘れないためという。

 「病気はつらいけど、家族がある。仲間がある。ST(言語聴覚士)がいる。だから希望がある」

 七月初旬、名古屋市中村区の東海医療科学専門学校。池田さんは、だんだん早く打てるようになってきたメールのこと、回復への手応え、支えてくれる人への感謝などを、言葉に詰まりながらも、熱っぽく語った。失語症について広く知ってもらおうと、同社が始めた講演会「笑顔の授業」の一コマだ。

 受講生は、失語症を含め言葉が不自由な人のリハビリを担うSTなどを目指す学生たち。池田さんは講演の中で、リハビリに粘り強く寄り添ってくれるSTを「戦友」と呼んだ。参加した国分鉄平さん(37)=名古屋市守山区=は「つらい経験もさらけだしてくれて、STを目指す意欲を新たにした」と力を込めた。

 七月にスタートした「笑顔の授業」は、月に二回が目安。日本言語聴覚士協会(東京都)などと連携し、依頼があれば全国どこにでも行く。同社では障害への理解を深め、障害があっても働きやすい環境づくりを進めるこうした活動を、企業が果たすべき社会的使命と考える。池田さんは会社の姿勢を伝える、いわば「広報大使」だ。上司の東海・北陸業務支援部長の流石巌さん(54)は「池田さんだからこそ、できること」と話す。

 どうしたら社員として活躍できるか。池田さんの復帰後、本人も会社も模索してきた。書類を機械的に分類する仕事や社内でのチラシ配り。時には会議に出席することもあったが、ついていくことができなかった。しかし、営業マン時代同様、決してあきらめず、どんな小さな仕事にも徹底的に取り組んだ。

 そうやって活動の幅を広げていく中で見つかったのが「笑顔の授業」だ。きっかけは昨年十月、入院先の一つ、鵜飼リハビリテーション病院(同市)の依頼で、職員向けに行った講演だ。前向きに生きる池田さんの姿に涙を流す人も。同行した流石さんの発案を受け、池田さんは人権啓発・ダイバーシティ推進室の参事を兼務。笑顔の授業を担当することになった。

 倒れて四年近く。患者会の活動などを通じ、再就労の厳しい現実を日々実感する池田さんは、少しでも状況を変えたいと願う。そのために、会社の高い知名度を生かし、失語症の「伝道師」になることを目指す。一歩ずつ進んでいけば、その先にはきっと、再び営業マンとして輝ける日があると信じて。 (山本真嗣)

池田さんの名刺の裏には会話への配慮をお願いする文章が書かれている

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