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【暮らし】

<家族のこと話そう>乳がん治療、支えは両親 タレント・矢方美紀さん

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 昨年、二十五歳で乳がんと診断されたとき、治療を支えてくれたのは家族でした。

 SKE48を卒業した約一年後。自分で左胸のしこりに気付き病院に行きました。痛いとか、具合が悪いとか自覚症状はまったくありませんでした。「なんでこんなに元気なのに私が」と落ち込みました。

 一方、母にLINE(ライン)で連絡すると、軽い感じのスタンプが返ってきました。母はいつもドライで落ち着いていて、このときも、「お金のことは心配しなくていい」と淡々と病院を探してくれました。

 母に付き添われ、病院で左胸の全摘手術を受けました。今、思うと、母がメソメソしていなかったから、私も取り乱さずに治療に専念できたと思います。

 両親は、私が小学一年の時に離婚しています。母は保険会社で働きながら、別のアルバイトも掛け持ちして私と弟を育ててくれました。

 子どものころ、学校で友達が「お父さんに怒られた」なんて話していると、私は父がいなくて寂しいなとは思いました。でも、「うちはうち」なんだと思ってきました。

 そう考えるようになったのは、母の影響が大きいです。経済的に厳しかったので、中学生のころ、制服や体操服は他人のおさがりでした。体操服に知らない人の名前が縫い付けてあるのが嫌で、母に言うと、「うちはうち」と。それでも、私がどうしても欲しかったMr.ChildrenのCDを、お店を六カ所も一緒に回って探し、買ってくれたこともありましたね。

 高校時代に、縁もゆかりもない名古屋でSKE48のオーディションを受けたときも、母は特に反対もせず、行かせてくれました。ただ、費用は自分のアルバイトでためたお金で。

 合格し、テレビに出るようになると、とても喜んでくれました。最初は一人で名古屋に来ましたが、母は数年後、弟が高校を卒業したのを機に大分から名古屋に移り住んでくれました。

 大分で離れて暮らす父にも、支えられました。抗がん剤治療の影響で、髪が抜けたときは悲しかったですが、帰郷すると、「生まれた時はみんな毛がなくて、つるっぱげだから」と明るく励ましてくれました。父には再婚後に生まれた三人の子どもがいます。その子たちは私のことを「お姉ちゃん」と呼んでくれているんです。父の家族とは昔から仲が良くて、今も家に遊びに行きます。

 今は乳がんの治療を続けながら、声優を目指し、レッスンや講演活動をしています。「きっと大丈夫」。そう言い聞かせてきたし、いろんなことを抱えて生きている人たちにも、そう伝えたい。いつも前向きで、見守り続けてくれている両親あっての私です。

 聞き手・細川暁子/写真・木戸祐

<やかた・みき> 1992年、大分県生まれ。2009年に名古屋を中心に活動するアイドルグループSKE48のメンバーとしてデビューし、17年に卒業。翌年、乳がん手術を公表した。タレント活動のかたわら、講演などで治療の経験を語っている。著書に「きっと大丈夫。〜私の乳がんダイアリー〜」(双葉社)。

 

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