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【暮らし】

<家族のこと話そう>父の一生「小五男子」 漫画家・松田奈緒子さん

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 長崎県諫早(いさはや)市の県営団地で育ちました。両親と五歳下の妹との四人家族です。

 父は「生まれっぱなし小五男子」で、そのまま大人になったような人。遊び大好き、友達大好き。ソフトボールや水泳などスポーツも好き。剣道は七段で、近所の子どもにも教えていました。男の子が欲しかったので、家にいても面白くないのでしょう。休日に父に遊んでもらった記憶がほとんどありません。

 それだけでは済まず、「友達に頼まれて断るとは男じゃなか!」と、二度も連帯保証人になり、借金を抱える羽目に。パート美容師の母も家計を支え、借金を返しながらの暮らしでした。当時は「一億総中流」の時代。母は「給食費も払ってるし、ご飯も食べられる。うちも中流」と言ってましたが、今思えば「下の上」くらいだったかも。

 家には本と呼べるものはなく、あるのは電話帳と、父のアダルト雑誌だけ。父は雑誌を私の前でめくったり、鍋敷き代わりに食卓に置いたり。気にはなりませんでしたが、ホームドラマの「家族」とは全然違う。「なぜうちだけこうなの?」と疑問でしたね。

 漫画家を志した芽は小学五年の頃。大和和紀(やまとわき)さんの『はいからさんが通る』を読み、「この中に入りたい」と強く思ったことです。お金の面で我慢することが多い分、空想しがちな子どもでした。そうしたことも、漫画を描く上で私の基礎になったのかもしれません。

 漫画家になるため、高校はデザイン科を志望したのに不合格。「未来をふさがれた」と絶望した頃は、太宰治や中原中也に共鳴、「どう生きるか」と悩んでいました。

 高校を卒業後、就職のため上京。漫画家のアシスタントになるための独立費用を稼ぎ、一年八カ月で辞めました。両親には事後報告。母は怒りましたが、父は笑って「つらかったら帰って来いや」。父を恨みに思ったこともありますが、今思えば、こうした放任ぶりはありがたかったです。

 そんな父が二〇一四年、病気で七十三歳で亡くなりました。葬儀には驚くほど大勢の友達が来てくれ、「あんないい人はいなかった」と号泣するんです。家族は誰も泣かないのに。晩年は、妹の長男が父に懐いて「男の子の育児」もかないました。幸せな人生だったと思います。

 苦労しっぱなしの母(76)になぜ離婚しないのか、と聞いたら、「父としては最低、男として最高」と。ほれていたんですね。育児に悩んでいた妹にも「生きとれば(それで)よか!」と答える、肝が据わった人です。

 聞き手・北村麻紀/写真・嶋邦夫

<まつだ・なおこ> 1969年、長崎県生まれ。漫画家のアシスタント生活を経て、27歳で「ファンタスティックデイズ」でデビュー。出版界で働く人たちを描き、テレビドラマ化もされた「重版出来(しゅったい)!」(小学館「月刊!スピリッツ」連載中、既刊13巻)で、2017年小学館漫画賞を受賞した。

 

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