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【暮らし】

<家族のこと話そう>自由くれたおふくろ 生物学者・五箇公一さん

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 おふくろは多才すぎる。昔は油絵で賞を取ってたし、八十歳近くになった今は俳句で活躍している。料理もうまいし、運動神経も抜群。六十歳くらいまでスキーとテニスをやってた。ああいう親がいると、子どもはコンプレックスを持つ。生涯、「何もできない子だ」ってプレッシャーをかけられている気がするよ。

 おやじは自分が四歳のときに亡くなった。大手鉄鋼会社の技術者だった。家で脳卒中で倒れてそのまま。当時は横浜に住んでいて、よく近くの川の鉄橋を走る新幹線や羽田空港の飛行機を見に連れていってくれた。優しい人だったから会社ではストレスをためちゃったのかもね。今の日本があるのは、身を粉にして高度経済成長を支えたおやじたちのおかげだと思う。

 それから両親の故郷の富山県高岡市に移り、高校卒業まで暮らした。小学校は周りが田んぼや草っぱらだらけで、毎日、帰り道に友達と虫ばかり捕ってた。家にはバッタやカマキリなどの虫からカナヘビ、アメリカザリガニ、カエルまで生き物がいっぱい。本で調べながら全部自分で世話して卵も産ませた。毛虫を持ち帰った時はさすがにおふくろに怒られたけど、大概好きに飼わせてもらっていたよ。

 高学年くらいからプラモデルにはまり、おふくろに感化されて風景や静物の水彩画も描き始めた。高校では珍しさにひかれて山岳部に。京大の農学部を選んだのは、バイオテクノロジーがはやりだして「もうかりそう」と思ったから。大学三年まではバイクで一人で日本中を走り回っていたけど。そんなこんなもおふくろは口出しせず、自由にやらせてくれた。だから常に自分で発想し続け、今も研究者でいられるのかも。

 黒ずくめの衣装は二十年ほど前から。たまたま入った店で試着した服にビビッときた。以来、毎日黒い服。靴下も下着も黒しか持ってない。おふくろには「怖い人みたい」と言われるけど、海外の学会に出ると「ブラック・ガイ(黒い男)」と呼ばれて覚えてもらえる。おかげで研究者としてのつながりも広がった。

 わが子四人はもう社会人。自分は仕事でほとんど家にいなかった。でも、みんな自分で決めた道を進んでいる。ろくでもない親でも仕事をする背中だけ見せてきた。研究も信念を持って続けていれば、後継者が付いてきて良い仕事をしてくれると信じている。

 今後も、奥深い生き物の世界を伝えたい。退職後は北陸に帰ってギャラリーショップを開くのが夢。集めたフィギュアやプラモデルを展示して、自分の作品をグッズにして売る。おふくろの作品も一緒に飾ろうかな。

 聞き手・写真 平井 一敏

<ごか・こういち> 1965年、富山県高岡市出身。京大大学院農学研究科昆虫学専攻修士課程修了。大手総合化学メーカーで殺虫剤の研究開発に携わり、博士号を取得後、96年に国立環境研究所に入った。現在は生物・生態系環境研究センター(生態リスク評価・対策研究室)室長として、強毒を持つ南米原産のヒアリなど外来種の対策を研究。テレビ番組の解説者としても活躍している。

 

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