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【暮らし】

<家族のこと話そう>仕事する人生、妻と歩む ALSと闘う社長・恩田聖敬さん

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 家族は同い年の妻、小学五年の長女(11)、小学二年の長男(8つ)との四人。3LDKの自宅はにぎやかで、家族の息吹を感じて暮らしています。

 私にとって家族は、生きる意味そのもの。筋萎縮性側索硬化症(ALS)になっても、家族と暮らせる。「幸せだなあ」と心から感じます。

 ALSと診断されたのはFC岐阜社長就任の一カ月後。公表は迷惑がかからない時期を最優先で考え、翌年のキャンプイン前日の記者会見になりました。妻は「これで、こそこそしなくて済む」と。私もようやく周りに助けを求められると安堵(あんど)しました。

 ですが、妻は当初、他人の介護を受け入れるのに葛藤があったようです。車いすで体がほぼ動かない私の介護を一手に引き受けましたから。毎日職場に来て、食事やトイレの介助をし、リハビリの送迎も。家では起床から就寝までの全介助、アウェー戦の遠征にもついて来てくれた。

 しかし、そんな生活は長続きしません。当時まだ小学生にもなっていない子どもだけで留守番をさせることもしばしば。私も妻も全く余裕がなく、子の顔もまともに見られない日々が続きました。

 それでもボロボロの妻の助けを借りなければ、起き上がることさえできない。私は自分の無力さを呪いました。

 私が仕事を諦めればいいのか。それも違う。私の仕事への思いを誰より知る妻にとって仕事をしてない私は、一緒に生きる私ではないのです。

 ALSが進行すると、呼吸もできなくなりますが、人工呼吸器を着ければ生き続けることができます。ただ、介護も続く。誰も犠牲にならずに生きるにはどうするか。「完全他人介護」体制をつくる大前提で、人工呼吸のための気管切開をしました。

 妻とは大学時代から二十年以上の付き合い。世界で一番「恩田聖敬」の価値観を知り、生きざまを間近で見てきた人です。ALSになって何度も何度もくじけそうになった時、呼び戻してくれたのは妻の言葉でした。これからも互いに最大の理解者として、共に人生を歩んでいきます。

 子どもたちにはキャッチボールや腕ぶら下がりなど「普通の父親」がしてあげることができず、寂しい思いをさせているかもしれません。でも、親としての責務は果たさなければと常に思っています。

 妻は「体が動けないからこそ、頭使って父親やって!」とよく言います。社会で人に迷惑をかけず、謙虚で、自分のやりたいことができる力を身につけてほしい。自分が両親から教わった生きる上で大切なことです。同じように子どもたちに見せていきたい。

 聞き手・三浦耕喜/写真・布藤哲矢

<おんだ・さとし> 1978年岐阜県生まれ。京都大大学院工学研究科修了。アミューズメント会社勤務を経て、2014年、サッカー・FC岐阜の社長に就任後、筋肉が徐々に動かなくなる難病のALSを発病し、2年で辞任。現在、自らの経験を発信する「まんまる笑店」社長として、各地で講演活動などを行う。東京五輪では岐阜県内で聖火ランナーを務める。

 

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