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【暮らし】

<家族のこと話そう>日舞の父、冒険へ後押し 歌舞伎役者・市川右團次さん

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 父は日本舞踊の家元で、自宅の二階がけいこ場でした。三味線の音曲が響いてきて、足拍子に家中が振動して。そんな中で生まれ育ったので、小さいころから音楽をかけられると踊りだすような子どもでした。

 父は日本舞踊とは縁遠い商家の四男坊。長兄が歌舞伎が好きで、その影響で芸事が好きになった。ゆくゆくは商人の道を、ということで大学に入ったのですが、隠し芸のために日本舞踊を習い始め、それが本当の仕事になっちゃった。変わった人でしょう。

 僕が京都の南座で歌舞伎の初舞台を踏んだのは八歳のとき。父に連れられて出た日本舞踊の発表会で、松竹の演劇プロデューサーから「歌舞伎の子役でデビューしないか」と誘われたのがきっかけでした。初舞台で師匠の芝居を見て、歌舞伎のファンタスティックな一面に魅了されました。

 父は歌舞伎の子役のしゃべり方など、二階のけいこ場でいろいろと指導してくれました。普段は優しくて穏やかですが、けいこは厳しかった。「できるようになるまで下りてくるな」と言われましたね。

 市川の名字をいただき、小学六年の秋ごろ、師匠から「中学から東京に出てこないか」と言われました。両親から決断を委ねられた僕は「行きたい」と。必死で勉強して慶応義塾中等部に入り、師匠の書斎で書生生活を始めました。

 でも、まだ子ども。いざ出て行くと、寂しくて。歌舞伎役者としてやっていけるのか、それとも大阪に戻って舞踊家になるのか、将来はどうなるんだろうと。そんな中学時代でしたね。

 三年のとき、一門の若手の勉強公演があって、あいさつに来た父に師匠が「最終的には大阪に連れて帰られるんですか」と聞きました。すると、父は「一生、お預けするつもりでおります」と。僕は長男で、歌舞伎は日本舞踊とは全く違う世界。でも父は、僕を大冒険に出してくれたんです。

 師匠はスーパー歌舞伎という、歌舞伎の新ジャンルをつくった人。そういうパイオニア精神みたいなものが、父にもあったと思う。舞踊団を立ち上げたり、新しい創作舞踊をつくったりして、日本舞踊会の新機軸を生み出した人なので。僕を冒険に出してくれたのは、師匠を「この人なら」と思ったのかもしれません。

 うちのせがれは九歳。芝居がすごく好きで頼もしいですが、もし、ほかの世界に行っちゃうと、つらい。父のようにできるかというと…。自信ないなあ。

 聞き手・河郷丈史/写真・木口慎子

<いちかわ・うだんじ> 1963年、大阪府出身。父は日本舞踊飛鳥流宗家・飛鳥峯王(あすか・みねお)。三代目市川猿之助(二代目市川猿翁)に弟子入りし、市川右近を名乗る。2017年1月、三代目市川右團次を襲名。3月10〜25日に東京、神奈川、千葉など全国10カ所で開催される「伝統芸能 華の舞」では、右近の名を譲った長男と親子で名作「連獅子」を演じる。

 

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